17世紀後半から18世紀前半にかけてドイツのプロテスタント教会に興った強力な信仰運動。三十年戦争の悲惨な体験がきびしい罪意識を生み出し,真に福音的・ルター的な信仰の再起をうながした。16世紀の〈宗教改革〉の結果が主知主義的正統主義となり,教会は領邦教会として形骸化していったとき,いわば新たな宗教改革が意図されたのである。宗教改革は〈信仰義認〉を唱えたが,敬虔主義の標語は〈生きた信仰・再生〉であった。その主要な特徴は,(1)宗教的体験の尊重。信仰とは客観的な教義の知的承認に尽きず,聖書に親しみそれをわが物としつつ主体的に生きることである。これは専門的な神学者に対して平信徒の権利を認めることとなり,神学史的には教義学から聖書学への主役交代をもたらした。(2)実践の強調。生きた信仰は必ず倫理的実践へ結実する。生活は禁欲的性格をおびるとともに,愛の実践として伝道事業,社会事業,教育事業が,〈人間変革を通しての世界変革〉をめざして積極的に推進される。(3)自由な信徒集会の形成。敬虔主義は既存の教派,制度的教会を否定せず,再生した信徒による自主的集会〈コレギア・ピエタティスcollegia pietatis(敬虔の集い)〉,教会内の小教会を作ったが,これは現代の教派を超えたエキュメニズム運動の先駆となり,政教分離を促す一因ともなった。
敬虔主義の成立に機縁を与えたものは,まずルターであるが,ドイツ特有の神秘主義的スピリチュアリズム(ドイツ神秘主義)も無視できない。しかし倫理化が強くなされ,近代の倫理主義的キリスト教へと続いていく。より直接的な関係にある先駆・並行現象としては,カルバン派内の禁欲的実践強調の態度,不断の自己省察,鋭い良心の吟味を伴ったピューリタニズムがとくに重要である。スペイン,フランスのカトリック教会の神秘主義とも無縁ではない。シュペーナーが敬虔主義運動の創始者とみなされており,彼の〈コレギア・ピエタティス〉の開始(1670)と,著作《敬虔なる願望》の公刊(1675)は時代を画した。その後フランケによりハレが中心地となる。ハレで学んだツィンツェンドルフはのちにヘルンフート兄弟団を設立し,ハレ派の意志強調に対抗して感情重視の立場を尊重した。ビュルテンベルクには独自の民衆的敬虔主義が展開し,古典的な敬虔主義的聖書解釈者ベンゲルJohann Albrecht Bengel(1687-1752),特異な体系的思想家エティンガー等が輩出する。敬虔主義は,歴史的進歩への信頼,経験の尊重,教育の重視,自由な個人の強調などにおいて時代精神と結びつき,カントに見られるように,啓蒙主義への橋渡し的役割をはたした。他面,ヘルンフート派を通してシュライエルマハーに,エティンガーを介してシェリング,ヘーゲル等に影響を与え,レッシング以後のドイツ文学にも力を及ぼしているように,ドイツの精神世界に深く作用しつつ,広くその後の〈信仰覚醒運動〉へ流れ込む。啓蒙主義への対立者ともなり,現代にも生きている。
執筆者:常葉 謙二
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…他面,テレサの心理内省的能力は,神秘体験の心理的側面を明らかにする克明な資料を残している。 その後,神秘主義は,一般の啓蒙主義およびプロテスタントの正統主義への硬化に反対して起こった17世紀末から18世紀にかけての敬虔主義の運動のうちにあらわれてくる。この運動はやがてゲーテやシュライエルマハーなどに始まる精神的展開を促す一つの契機ともなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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