ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シルウェステル2世」の意味・わかりやすい解説
シルウェステル2世
シルウェステルにせい
Silvester II
[没]1003.5.12. ローマ
第139代教皇(在位 999~1003)。最初のフランス人教皇。オーリヤックの聖ジェロオ修院で教育を受けたスコラ哲学者(→スコラ哲学)として,オーリヤックのジェルベール Gerbert d'Aurillacと呼ばれた。970~971年ローマでオットー1世に 4科(→自由七科)を教授,その後ランスへ行って大司教アダルベロンのもとで学びかつ講義した。982年または 983年,オットー2世からボッビオの大修院を与えられたが,984年ランスに戻り,ユーグ・カペーの登位に協力。989年アダルベロンは次の大司教に彼を推して死に,991年の教会会議で認められたものの,複雑な政権争いがからんで教皇はこれを認めず,995年ローマへ行く。やがてオットー3世の宮廷に身を寄せ,998年にその力でラベンナ大司教位を得,翌 999年教皇となった。教皇としては東ヨーロッパに教会を組織し,ハンガリーの聖ステファヌスをイシュトワーン1世として王位につかせた。聖職売買,司祭の婚姻に反対して教会改革を推進した。哲学者としては 10世紀を代表する一人であり,アラビア科学をも摂取しつつ 3科のみならず 4科にも通じて,人文学の百科全書的な包括的教養を誇った。
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