日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユーグ・カペー」の意味・わかりやすい解説
ユーグ・カペー
ゆーぐかぺー
Hugues Capet
(938?―996)
カペー朝初代のフランス王(在位987~996)。ロベール家のユーグ・ル・グランの子。妃アデライデはカロリング家の血筋を引くといわれる。カロリング朝末期の西フランク王ロタールが986年、その後を継いだ若年のルイ5世が翌987年にそれぞれ急死し、直系の相続人が絶える。ここにおいてフランス公を称していたユーグは聖俗貴族に推され、ノアイヨンで王に選出され、ランス(またはノアイヨン)で聖別され、フランス王位についた。もっとも、ロベール家からは、これより1世紀前のウードをはじめ、ロベール1世、ラウールと3代の王を出して、カロリング家と対抗するという前史があった。987年の即位後まもなく、王位をめぐってユーグとライバル関係にあったカロリング系のロレーヌ公シャルル(ルイ5世の叔父)と戦い、ランス大司教アダルベロンの支持を受けてこれを倒し、カペー家の勝利を不動のものとした(991)。ユーグ・カペーの支配領域はパリ周辺とオルレアン地方に局限されていたが、フランスの政治的中心部に所領の中核を形成したことは、ランス大司教によって聖祓(せいばつ)され、神の意志に基づく超越的権威を与えられたことと相まって、重要な意味をもつ。彼はまた、選挙王制の原則にもかかわらず、生前からその子ロベール(2世、在位996~1031)を共同王位につけ、世襲王制への道を切り開いた。
[井上泰男]