日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥラーティ」の意味・わかりやすい解説
トゥラーティ
とぅらーてぃ
Filippo Turati
(1857―1932)
イタリアの社会主義者、イタリア社会党創立(1892)の主役。妻のアンナ・クリショフとともに創刊した社会主義的理論誌『クリティカ・ソチャーレ』を主宰し(1891~1926)、知識人と労働者の間の橋渡しに努めた。漸進的改良と大衆の階級意識の成熟とに基づく平和的革命を一貫して説き、第一次世界大戦前には党内で優勢であった改良派を指導してジョリッティなどの自由主義左派政権への閣外協力を行い、第二次世界大戦後の歴史的妥協路線に先鞭(せんべん)をつけた。党内の無政府主義や革命的サンジカリズムの諸流派の排除に成功したが、第一次世界大戦前夜から台頭し始めた革命的中間派(最大限綱領派(マツシマリスタ))には敗れた。大戦後、党の統一を守るために中間派のコミンテルン加盟を受け入れたが、1921年初頭に党は分裂した(リボルノ党大会)。翌1922年、改良派として離党し、統一社会党を結成した。合法的反ファシストとしてアベンティーノ反対派連合の象徴的指導者であったが、1926年、劇的亡命に成功。以後パリで反ファシスト亡命者のため、社会党の統一のために尽力し、客死した。
[重岡保郎]
『山崎功著『イタリア労働運動史』(1970・青木書店)』