フランス共産党の中央機関紙(日刊)。そもそもはジョレスが,分裂状態にあった社会主義者の結集をはかって,1904年4月18日に創刊した。創刊号はほぼ14万部売れ,大成功を収めたが,翌05年4月に念願の統一が実現してSFIO(Section française d'Internationale ouvrière。労働者インターナショナル・フランス支部)が結成され,その機関紙となる。しかし,あまりの高級紙志向のために部数は1万2000部にまで激減した。その後立直しがはかられ,ほぼ4万部の線を維持するようになった。14年にジョレスが暗殺され,18年からは左派のカシャンMarcel Cachinが編集長に就任した。20年SFIOが党内の左右対立から分裂すると,《ユマニテ》は左派が結成したフランス共産党の機関紙になって今日に至っている。しかし,その歩みは順調だったわけではなく,39年8月には独ソ不可侵条約の締結を機に発行禁止の処分を受け,またドイツによる占領期には地下発行を余儀なくされることがあった。フランスの解放後は,対独協力紙が廃刊処分を受け,その財産は没収されて新興紙に譲り渡されたのに対し,《ユマニテ》は《フィガロ》と並んで戦前と同じ題字で発行することができた。民衆の支持を得て一時は180万部に迫ったが,50年代には70万部まで落ち,96年現在では約11万7000部。
執筆者:稲葉 三千男
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フランス共産党中央機関紙。パリ発行の朝刊紙。1904年4月18日、当時の著名な社会主義者ジャン・ジョレスによって創刊され、その後社会党の機関紙となる。20年社共の分裂により、共産党の中央機関紙となる。第二次世界大戦の直前、人民戦線の崩壊で39年8月26日から発行禁止処分を受けたが、ただちに地下発行を開始、44年8月のパリ解放まで地下発行を続け、レジスタンス運動に協力した。第二次世界大戦直後、共産党も入閣した挙国一致内閣の下で発行部数も飛躍的に伸び、46年には40万部を数えたが、その後低下した。それでも80年代には資本主義国の共産党機関紙としては有数の10万台の発行部数を維持していたが、ソ連崩壊後の90年代には大きく低落した。98年の平均発行部数は5万8000部。
[伊藤力司]
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…ロシア社会民主労働党が多数派と少数派に分裂して以降は,多数派(ボリシェビキ)は《フペリョード》を発行し,1912年には《プラウダ》が創刊される。フランスでは,1904年社会主義運動は二つに分裂していたが,ジャン・ジョレスの社会党が,当時の金額で88万フランを集めて《ユマニテ》を創刊した。アナトール・フランス,トリスタン・ベルナールらも寄稿した《ユマニテ》の創刊号は13万部売れた。…
※「ユマニテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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