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「ストコフスキー」の意味・わかりやすい解説
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ストコフスキー
Leopold Stokowski
生没年:1882-1977
アメリカの指揮者。ポーランド人を父,アイルランド人を母としてロンドンに生まれ,クイーンズ・カレッジとパリ音楽院に学び,ロンドン,ニューヨークでオルガン奏者として活動。1909年指揮者に転向してシンシナティ交響楽団常任指揮者を経て,12年フィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任,38年までの在任中にこの楽団を世界的水準に引き上げた。以後は自由な立場で各地に客演。指揮棒を持たない華麗な指揮で知られた。映画《オーケストラの少女》(1937),《ファンタジア》(1940)などに出演した。65年来日。
執筆者:大木 正興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ストコフスキー
すとこふすきー
Leopold Stokowski
(1882―1977)
イギリス出身のアメリカの指揮者。多数のレコードと映画『オーケストラの少女』『ファンタジア』を通じ、20世紀の前半、大衆にもっとも人気のある指揮者であった。生地ロンドンの王立音楽大学でオルガンを学び、オルガン奏者としてロンドンとニューヨークで活動ののち指揮に転じ、1909~12年シンシナティ交響楽団、12~36年フィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者を務め、後者をアメリカ有数の楽団に育て上げるとともに自身の名声を決定的にした。その後、全米青年交響楽団、アメリカ交響楽団を結成、55~60年はヒューストン交響楽団常任指揮者。来日したのは65年(昭和40)で、読売日本交響楽団と日本フィルハーモニーに客演、独自のオーケストラ配置で話題をよんだ。73年ロンドンに移って客演活動を続け、95歳で没した。ストコフスキーはオーケストラの豊かで多彩な響きを生涯追い求め、この面でオーケストラを革新するのに決定的な役割を果たした。
[岩井宏之]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ストコフスキー
Stokowski, Leopold Antoni Stanislaw
[生]1882.4.18. ロンドン
[没]1977.9.13. ハンプシャー,ネザーワロップ
イギリス生れのアメリカの指揮者。ポーランド系の父とアイルランド系の母との間に生れ,オックスフォード大学を卒業後,ロンドン,パリで音楽を学び,オルガン奏者となった。 1905年に渡米後,オルガニストと合唱指揮者を経て交響楽団の指揮者となり,09~12年シンシナティ交響楽団,12~38年フィラデルフィア管弦楽団,44~45年ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団などの指揮者を歴任,バトンなしの特異な指揮ぶりで人気を博した。その間,1915年にアメリカに帰化し,映画『オーケストラの少女』 (1937) その他にも出演。 65年来日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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