政治的意見,理論,主義,思想,政策などを総称する概念で,今日ではほとんど使われないが,明治10年代から20年代にかけて,一定の政治的立場に立って出される政治的言説一般を意味することばとして使われた。とくに,1881年の国会開設の詔勅から帝国議会開幕ごろまでの10年間は政論隆盛の時代で,この時期の前後には天賦人権論などの自由民権説,皮相の欧化政策への反対論としての国粋主義などさまざまな政論が興亡した。政論の担い手は欧米新知識を吸収した知識人,彼らの結成した政党・政社・会派であり,その表明の機関が新聞であった。政治思想普及の方法として新聞とならんで演説が行われたが,演説をとおして語ることを含みとしている〈政談〉に対し,政論は印刷物をとおして論ずることに力点が置かれていた。したがって,一方の政談演説に対し,政論新聞が成立した。それは,新聞自体の種別でいえば,論説を掲げない社会面中心の小(こ)新聞に対する,大(おお)新聞であった(大新聞・小新聞)。このように政論は政論新聞の論説を発生源もしくは媒体とし,各地で開かれる政談演説会の助けをかりて普及する。民撰議院設立論争,主権論争,条約改正論など,いずれも,新聞紙上での相互の激しい論駁(ろんばく)から発生展開したものである。
この当時の政論の対立は政治体制の選択にかかわる原理的性質をもち,また新たに伝えられた欧米新知識にその理論的根拠を求めていたため,政治対立に従来希薄だったイデオロギー的分化をもたらした。しかし大日本帝国憲法の制定により体制選択が既決事項になると,政論は理念的・原則的なものから具体的・現実的なものに変化していき,それに欧化政策への反発から生じた国粋主義,国民主義,伝統主義の芽生えが重なった。抽象的・自然権的理論から具体的・個別的な歴史主義的理論へのこの推移は,党派的対立自体の相対化,政論新聞から中立的客観的新聞への変化とあいまって,政論そのものの衰退をもたらすことになった。
執筆者:寺尾 方孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…生卒については順帝期(126‐144)に生まれ,霊帝建寧年間(168‐172)に没したことしかわからない。桓帝のとき,郎官になり当時の政治を論じた《政論》を著し,法家思想よりのその主張が評判となる。以後,五原太守,遼東太守などを歴任。…
※「政論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新