現代外国人名録2016 「スライストーン」の解説
スライ ストーン
Sly Stone
- 職業・肩書
- ミュージシャン
- 生年月日
- 1944年3月15日
- 出身地
- 米国テキサス州ダラス
- 本名
- スチュアート,シルベスター〈Stewart,Sylvester〉
- グループ名
- グループ名=スライ&ザ・ファミリー・ストーン〈Sly&The Family Stone〉
- 経歴
- 4歳の頃から弟や妹と教会でゴスペルを歌い始める。1950年代に一家をあげてサンフランシスコに移住し、高校時代にはバンドを組み、大学では楽理やトランペットを学んだ。大学卒業後はソロ歌手として活動する一方、地元のラジオ局でDJを務め、’64年以降はオータムレコードのプロデューサーとして活躍。やがてスライ・ストーンの芸名を名のり、’66年シンシア・ロビンソンや弟のフレディ、妹のローズらとファンクバンドのスライ&ザ・ファミリー・ストーンを結成。ボーカルやキーボードの他、大半のソングライティングも手がける。同年発表のデビューシングル「アイ・エイント・ガット・ノーボディ」が認められ、大手のエピックレコードと契約し、’67年初のアルバム「新しい世界」をリリース。’68年シングル「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」のヒットに続いて、同年の「エヴリデイ・ピープル」が全米1位に輝き、ドゥーワップの影響を受けたボーカル・アンサンブルと、ファンクを先取りしたビートで一躍注目を集める存在となった。’69年伝説となったウッドストック・フェスティバルに出演。同年発表の4枚目のアルバム「スタンド!」は300万枚の売上げを記録する大ヒット作となった。’71年のアルバム「暴動」も全米初登場1位を獲得するなど高い評価を受け、バンドの代表作となったが、以降は薬物中毒による奇行などが祟って精彩を欠き、’75年活動中止を発表。同年スライ・ストーン名義でアルバム「ハイ・オン・ユー」を発表してからはソロ活動に移行し、「スライ・バック!!」などのアルバムを出すが、以前ほどの評価は得られず、徐々に隠遁生活を送るようになった。その後、薬物中毒を克服し、2005年妹のヴェットらによるファミリー・ストーン・トリビュート・バンドに客演して久々に表舞台に登場。2006年エアロスミスのスティーブン・タイラーらが参加したスライ&ザ・ファミリー・ストーンのトリビュート・アルバム「Different Strokes By Different Folks」がグラミー賞にノミネートされたことで再評価の機運が高まり、同賞の授賞式にも姿を見せた。2007年スライ&ザ・ファミリー・ストーンを再結成し、2008年初の来日公演を行った。2011年、約30年ぶりとなるスタジオアルバム「アイム・バック! ファミリー&フレンズ」を発表。2015年には20年以上の取材に基づくドキュメンタリー映画「スライ・ストーン」が公開された。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報