封建制度(読み)ホウケンセイド

  • feudalism
  • 封建制度 feudalism

デジタル大辞泉の解説

天子がその領土を諸侯に与え、さらに諸侯はそれを臣下に分与して、各自にその領内の政治を行わせる制度。中国で周代に行われた。→郡県制
中世社会の基本的な支配形態。封土給与とその代償としての忠勤奉仕を基礎として成立する、国王領主家臣の間の主従関係に基づく統治制度。また、領主が生産者である農民を身分的に支配する社会経済制度。

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百科事典マイペディアの解説

古代社会と近代資本主義社会の間に位置する政治・社会体制。英語でfeudalism。概念的また地域的にやや異なる内包をもつ。(1)ドイツの学者のいわゆるレーン制Lehnswesen。(2)直接的な経済外的強制に基づく領主・農民間の支配隷属関係(農奴制)。(3)社会類型の一つとして,レーン制・農奴制を含めてイデオロギーや生活様式などこの時代のすべての現象をさす。とくに〈封建社会〉と呼んで区別することもある。(4)もっとも広義には,身分的特権をもつ階層が存在する社会の制度すべてをさす。→荘園〔西洋〕 一般的には中世ヨーロッパ封建貴族(独立権力をもつ)間に成立した政治体制(レーン制)をさす。主従誓約と封土の授受を媒介とする,貴族個人間の双務的な主従関係に基づく。家臣は主君に軍事奉仕,出仕義務(特に封建法廷での陪席),緊急時の金銭的援助を義務づけられ,主君は家臣に軍事的援助や公的裁判所での弁護を義務づけられる。両者の間柄は封建法によって規制され,主君の誠実義務違反に対しては家臣の反抗権が発動される。制度的には8―9世紀に北フランスに成立,12―13世紀が最盛期。商品経済の発展,広域経済圏の出現とその規制に当たる王権の伸張とともに崩壊した。〔中国〕 (前11世紀成立)代に一族功臣などを各地に封じて諸侯とし,身分と土地とを与えた制度。諸侯は貢納・兵役の義務を有し,その下に・大夫・士の家臣がそれぞれ世襲の身分・土地を与えられて属していた。族的・血縁的であることが西洋の封建制と異なる点で,それを強化・保持するために宗法制が行われた。〔日本〕 上記の西洋および中国の概念の適用いかんで理解が異なるが,一般に土地恩給制と従士制を軸とする分権的政治形態を指し,鎌倉時代以降の武家社会に適用される。なお,マルクス主義の史的唯物論に立脚する観点もあって一様でない。
→関連項目郡県制郡国制冊封体制士農工商市民革命従士制度春秋戦国時代武王封建国家封建社会封土

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世界大百科事典 第2版の解説


定義用法
 〈封建〉の語は,もともとは中国周代の国家制度を指す語であったが,現在日本の学術用語では,この意味で〈封建制度〉の語が用いられることはほとんどなく,ヨーロッパのフューダリズム訳語として転用されている。この後者の意味での用語法も学者によって一様ではなく,やや言すれば,それぞれの学者が多少とも異なった意味でこの語を用いている。しかし,細部の違いを捨象して巨視的にみれば,ほぼ次の四つの概念類型を区別することができよう。

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① 天子・皇帝・国王などの直轄領以外の土地を、諸侯に分割領有させ、諸侯はそれをさらに臣下に分与してそれぞれ自領内の政治の実権を握る国家組織。
② 国王・領主・家臣の間に、封土の給与と忠勤奉仕を媒介として成立している、私的・人格的・階層的主従関係による統治形態。西欧では、六世紀頃に一般化。日本では、荘園制に胚胎し、鎌倉幕府の成立とともに発展、江戸幕府によって変質しながら、完成した。フューダリズム。
※日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉六「徳川政府の組立は封建制度なり」

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

広義には農奴制を基礎とする中世の社会制度全般をさし,狭義には,封土 (ほうど) を媒介として結ばれた主君と家臣間の保護,軍役奉仕の双務的関係を意味する,中世社会の法制・政治制度
【西洋】ゲルマンにおこった従士制(家臣制)と,ローマにおこった主君の家臣に対する封土授与の関係である恩貸地制(ベネフィキウム)との結合した政治制度をいう。この結合は8世紀にフランクのメロヴィング朝の王および地方豪族の下で行われた。やがて国王を最高の封主とし,封建関係がしだいに下級領主におよんで,ピラミッド形の封建的階層秩序が全面的に成立した。
【中国】周代の封建制度は,外面的にはヨーロッパ中世の制度に類似するが,本質的には異なる。王と諸侯との関係は契約によって結ばれたのでなく,氏族的・血縁的関係に立脚している。周王は一族・功臣にを与えて諸侯とし,貢納と軍役の義務を負わせ,諸侯はそれを卿・大夫・士に与えた。諸侯は周王のもとで宗法によって秩序づけられ,宗廟と社稷 (しやしよく) への祭祀を行った。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

土地を媒介として成立する政治的あるいは社会的な制度
わが国における封建制度の概念規定については,以下のような諸説がある。(1)中国周代に天子天下諸国に分け,国ごとに諸侯をおき,分権的に統治させた行政支配の形態で,つぎの秦代の郡県制度と対立する概念。江戸時代の儒学者が日本の近世社会を封建制度と理解した。(2)ヨーロッパの7〜8世紀のフランク王国などに発達したフューダリズム(feudalism)の概念で,土地の恩給制度と主従制度が結合したところに生まれる政治社会。明治時代以降,日本に西洋史学が導入されると,主君を頂点としてピラミッド的に身分秩序が構成される点が(1)に相似しているので,フューダリズムを封建制度と訳し,以後,封建制度を土地の恩給を媒介として成立する主従制度とする法制史的な概念が成立し,一般にはこの意味で理解する場合が多い。

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世界大百科事典内の封建制度の言及

【イベリア半島】より

…ヨーロッパの南西端にある半島。東西約1100km,南北約1000kmのほぼ方形をなし,総面積58万1353km2。北端のエスタカ・デ・バーレス岬と南端のタリファ岬(ともにスペイン)は,それぞれ北海道の中央部,関東地方の霞ヶ浦と同緯度にあたる。北および西を大西洋に,南と東を地中海に囲まれ,半島の付け根,北東部は幅約435kmにわたり,ピレネー山脈によってヨーロッパ大陸部と画されている。南西端では最狭部14kmのジブラルタル海峡をはさんでアフリカ大陸と対するが,同海峡は,ヨーロッパへのイスラム文明伝播の歴史的回路の一つであった。…

【漢】より

…中国,秦につづく統一王朝。前202‐後220年。秦の滅亡(前206)後,項羽と覇権を争って勝利を収めた農民出身の劉邦(漢の高祖)によって創建された。前206年,劉邦は項羽より漢王に封ぜられたが,漢の名はこれに由来する。ただし漢は紀元8年に外戚の王莽(おうもう)によって帝位を奪われて一時中断したが,25年には一族の劉秀(光武帝)によって復活した。そのため王莽が簒奪する以前の漢を前漢といい,復活後の漢を後漢という。…

【春秋戦国時代】より

…中国,古代の時代名。周の平王が洛陽の成周に東遷即位した前770年から秦始皇帝が中国を統一した前221年まで。この間の大部分に周王室は東の成周に存続したので東周時代ともよぶ。また前453年で前後に二分し,前半を春秋時代,後半を戦国時代とよぶ。前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。前453年で二分するのは,春秋の大国晋の家臣であった韓・魏・趙の3代が主家を三分独立し,晋は事実上滅亡し,以後戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の対立抗争の時代となるからである。…

【中国】より

…人は“万物の霊”であり天地間にあるもので“人より尊きはなし”というのは西洋の近代思想の反映であり,明治新政の原則であった“四民平等”の精神と表裏をなしています。この近代ヒューマニズムの主張が,一方において封建制度を打破する力として働きながら,他方“神州”の信仰と何の矛盾もなく結びつき……〉。日本の代表的知識人の言葉として,これはまことに奇怪千万といわねばならない。…

【フランク王国】より

…だがこのような中央集権的統治も,カール大帝のような優れた統治能力をもつ人間の下でのみ可能であったので,王権の弱体化した後期カロリング朝時代には,グラーフの在地豪族化の傾向を抑えることはできなかった。
[封建制度の成立]
 カロリング朝時代までの軍制は,自由人の軍役によって支えられていた。カロリング朝の諸王もこれを維持することに努め,当時の勅令は,すべての自由人の軍役義務を規定し,グラーフの重要な任務の一つは,必要な場合管区内の自由人を軍隊に動員することであった。…

※「封建制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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