日本大百科全書(ニッポニカ) 「スースロフ」の意味・わかりやすい解説
スースロフ
すーすろふ
Михаил Андреевич Суслов/Mihail Andreevich Suslov
(1902―1982)
ソ連の政治家。11月21日サラトフ県(ロシア連邦ウリヤノフスク州)の貧農の家に生まれる。1921年に入党。1928年にモスクワ国民経済大学を卒業後、1931年から党機関の専従活動家。1947年に党中央委員会書記になって以来、1982年1月25日に死去するまで、ずっとその地位を維持。1952年10月~1953年3月と1955年7月以降、党中央委幹部会員・政治局員。一時、党機関紙『プラウダ』編集長を兼任。1954年以降ソ連最高会議連邦会議外交委員長。イデオロギー問題の専門家で、1963年の中ソ共産党会談で鄧小平(とうしょうへい)総書記と論争、1968年(昭和43)に来日し、断絶状態にあった日本共産党との関係の調整にあたった。遺体はモスクワの赤の広場に葬られた。
[中西 治]