日本大百科全書(ニッポニカ) 「スーパースタジオ」の意味・わかりやすい解説
スーパースタジオ
すーぱーすたじお
Superstudio
イタリアの建築家集団。1966年アドルフォ・ナタリーニAdolfo Natalini(1941― )とクリスチアーノ・トラルド・ディ・フランチアCristiano Taraldo di Francia(1941― )により設立された。1967年からロベルト・マグリスRobert Magris(1935― )、68年からピエロ・フラシネリPiero Frassinelli(1939― )、70年からアレッサンドロ・マグリスAlessandro Magris(1941― )とアレッサンドロ・ポーリAlessandro Poli(1941― )がメンバーに加わる。建築・都市から、ソファやランプなどのポップなデザインまで、幅広い領域の活動を行う。実作はほとんどなく、過激なドローイングによって有名になった。
中心人物のナタリーニは、トスカナ州ピストイア生まれ。1959年から64年まで、画家として活動。1966年、フィレンツェ大学で建築学位取得、設計活動を開始。73年よりフィレンツェ大学建築学科教授。彼は、同じフィレンツェを拠点とする建築家集団アーキズームと行動をともにしていたが、その後スーパースタジオを始めた。いずれもエットーレ・ソットサスEttore Sottsass(1917―2007)の後ろ盾を得て、ラディカルな反デザインを展開し、1960年代後半の異議申し立ての時代の雰囲気を反映している。デザインに付与される意味を徹底して壊す、という彼らの反デザインへの意志は、均質で中性化された単位を繰り返し、建築全体に浸透させる「シングル・デザイン」という手法にも貫かれている。1969年にフィレンツェの国際古美術ビエンナーレにおいて、アーキズームとともに「骨董決定版」展と題する共同のグループ展を行う。この展覧会ではアーキズームのインスタレーションが通俗的かつ漫画的であるのに対し、スーパースタジオはさまざまな骨董品をシンボリックに配置し、寓話(ぐうわ)的なインスタレーションをつくり上げた。ここに反デザインへの意志が、シンボリックな建築、神話的な建築に接合する機をみることができる。差異を欠いた単一の表層が、世界の文化・建築的遺産や都市と関係をもつさまをモンタージュ形式で発表した都市計画案「コンティニュアス・モニュメント」シリーズ(1969)は、彼らの代表的なプロジェクトである。そこには歴史を貫くように描かれる巨大な構造体があり、その内部にはわれわれの時代の構造物が収められ、われわれの時代の構造物も歴史の延長上にあることを意識させる。さらに巨大な構造体の先は宇宙空間に及び、その後、月と地球に橋をかける「惑星間建築」(1971)が発表された。彼らはテクノロジーと幾何学を合体させながら、寓意的な反ユートピアを描く。とくに「12の理想都市」(1971)には、すべての市民が道徳と法の本を首に鎖でぶらさげる「本の都市」や、先頭で建設を行いながらつねに移動する「連続生産のテープの都市」などがあり、非人間的な様相を漂わせている。
そのほかのおもな作品に、フェレンツェのバッソ城跡コンペ案(1967)、ホリデー・マシン計画(レジャーセンター。1968)、イラストレーション「理性の国への旅」(1968~69)、レジスタンス記念公園計画(1970、モデナ)などがある。
[五十嵐太郎]
『「12の理想都市」(『都市住宅』1971年9月号・鹿島出版会)』▽『磯崎新著『建築の解体――一九六八年の建築情況』(1997・鹿島出版会)』