イタリアの画家。ソドマ(男色の意)は通称で、本名はジョバンニ・アントニオ・バッツィGiovanni Antonio Bazziという。北イタリアのピエモンテ地方の町、ベルチッリに生まれ、シエナで没。北イタリアで画業を学び、とりわけレオナルド・ダ・ビンチの影響を受けたが、1500年ころシエナに行き、以来シエナで活躍した。したがって、北イタリアよりも、むしろ中部イタリア画派の一人とみるべきである。実際、彼はシエナでペルジーノやルカ・シニョレッリの影響を受けている。05年から08年にシエナ近郊のモンテ・オリベート・マッジョーレのベネディクト派修道院に聖ベネディクトゥスの生涯の壁画を描き、シニョレッリが始めたこの連作を完成させた。またローマにも行き、ラファエッロなど諸家に学ぶとともに、ビラ・ファルネジーナの壁画などを制作している。彼は次世代のシエナのマニエリスムの画家たち、とりわけベッカフーミDomenico Beccafumi(1485―1551)に大きな影響を及ぼした。代表作は『十字架降下』(1502・シエナ国立絵画館)、『聖セバスチャンの殉教』(1525・フィレンツェ、ピッティ美術館)など。ソドマの描く絵画にはやや混乱がみられるが、その人物の表現には特有の優美さがあり、それが魅力となっている。
[石鍋真澄]
『エンツォ・カルリ著、在里寛司訳、高階秀爾監修『イル・ソドマ』(1981・鹿島出版会)』
イタリア盛期ルネサンスの画家。本名バッツィGiovanni Antonio Bazzi。ベルチェリに生まれる。ロンバルディアの画家スパンゾッティG.M.Spanzottiの下で修業をした後,ミラノ,さらに1500年代初め,主要な制作活動の舞台となったシエナへと渡る。初期にはレオナルド・ダ・ビンチ,ローマに滞在した1513-15年はラファエロの影響をそれぞれ受ける。そのやや折衷主義的な作風は近年あまり高い評価を得ているとはいい難いが,ベッカフーミとともに16世紀シエナ派の動向を探るうえで重要な画家である。
執筆者:田辺 清
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…15世紀のシエナ派は前世紀ほどの隆盛と影響力を見せなかったが,のちにフィレンツェで活躍するL.モナコは敬虔で魅力ある宗教画を描き,サセッタ,ジョバンニ・ディ・パオロ,サーノ・ディ・ピエトロSano di Pietro(1406‐81)らは流行の国際ゴシック様式に,シュルレアリスムを想起させる幻想的な雰囲気を添えた。16世紀初頭には,ロンバルディア出身のソドマがシエナに定住し,レオナルド・ダ・ビンチ風の様式を紹介する一方,盛期ルネサンスからマニエリスムへの過渡期を示す作品を残した。ベッカフーミはシエナ派伝統の明るく鮮やかな色彩に,強い明暗効果を加味して,幻想的・瞑想的な非現実世界を創出し,マニエリスムの先駆者の一人としてシエナ派最後の光彩を放っている。…
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