百科事典マイペディア 「ペルジーノ」の意味・わかりやすい解説
ペルジーノ
→関連項目オーバーベック|システィナ礼拝堂|バルトロメオ|ピントゥリッキョ
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イタリア,ウンブリア派の画家。本名ピエトロ・バンヌッチPietro Vannucci。ペルージア近郊のチッタ・デラ・ピエーベ生れ。ピエロ・デラ・フランチェスカに学び,フィレンツェに出てベロッキオにつき,明快な形と線をこの両画家から受け継ぐ。1481-82年にローマでシスティナ礼拝堂壁画《ペテロへの鍵の授与》を制作。このフレスコ画は彼の特徴をよく示し,前面に並列的に配された人物像と背景の建築物で大きな空間をつくる,単純で明快な構成法をもつ。ラファエロも協力した20年後の《聖母の婚約》もそれを繰り返している。聖母子像に見られる敬虔ではあるがやや感傷的な人物表現は《十字架のキリストと聖人たち》や《ピエタ》などの大作にも見られ,彼の画風の特徴となっている。
執筆者:田中 英道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリア・ルネサンスの画家。本名はPietro Vannucciだが、ペルージア人を意味するペルジーノが通称となる。まずピエロ・デッラ・フランチェスカの影響を受け、それからフィレンツェでベロッキオの工房に入って修業し、独自の作風を形成する。15世紀末にはペルージアとフィレンツェを拠点に中部イタリア各地で活躍し、多くの注文に応じる人気画家となる。ピエロ・デッラ・フランチェスカやフランドル絵画などの影響による静かな人物と風景、盛期ルネサンス絵画を予見する単純で明快な画面構成、そしてウンブリア出身の画家らしい敬虔(けいけん)な宗教感情などが、彼の絵画の特徴である。彼は弟子たちを使っておびただしい数の壁画や祭壇画、肖像画を制作したが、バチカン宮システィナ礼拝堂の壁画、ペルージアの両替商組合の建物の装飾、ルーブル美術館の『アポロとマルサイアス』や『愛と純潔の戦い』、あるいはウフィツィ美術館の『フランチェスコ・デッレ・オペレの肖像』などが重要である。晩年には人気を失い、ペルージアに引きこもって暮らした。彼はまた、ラファエッロの師としても美術史上にその名を残している。
[石鍋真澄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…すでに13世紀末から14世紀初頭にかけてアッシジのサン・フランチェスコ教会の壁画装飾を中心に新しい絵画の誕生が見られるが,その主体となったのはローマ,シエナ,フィレンツェの画家たちであり,真に土地柄を反映したウンブリア固有の画風形成が始まるのは15世紀に入って,ボンフィーリBenedetto Bonfigli(1420ころ‐96),カポラーリBartolomeo Capolari(1420ころ‐1509)による生地ペルージアを中心とした制作活動からである。ペルジーノに至って確かな造形形態に温雅で感傷的な表現を漂わせたウンブリア派の様式が確立される。続くピントゥリッキョは華やかな色彩による物語描写を,シニョレリは人体の動態表現を発展させた。…
※「ペルジーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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