デルカッセ(読み)でるかっせ(英語表記)Théophile Delcassé

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デルカッセ」の意味・わかりやすい解説

デルカッセ
でるかっせ
Théophile Delcassé
(1852―1923)

フランスの政治家、外交家。3月1日アリエージュ県生まれ。ガンベッタの新聞『フランス共和国』の外交記者から1889年代議士となり、植民次官、同大臣を経て1898年外相に就任し、1905年まで在任した。その外交理念は対ドイツ強硬態度、ドイツの外交的孤立化策に貫かれ、またフェリー流の植民地主義にも裏づけられていた。対ロシア関係を完全な攻守同盟関係にまで発展させ(1900)、ファショダ事件を解決した。さらに、エジプトでのイギリス地位の承認と引き替えに、フランスのモロッコにおける自由行動権を獲得したイギリス・フランス協商を成立させ(1904)、トリポリと引き替えにイタリアにもモロッコから手を引かせて、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟に楔(くさび)を打ち込むなど、多彩な外交を展開した。

石原 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デルカッセ」の意味・わかりやすい解説

デルカッセ
Delcassé, Théophile

[生]1852.3.1. アリエージュ,パミエ
[没]1923.2.22. ニース
フランスの政治家。植民地相 (1894~95) ,外相 (98~1905) を歴任し,フランスの帝国主義政策を遂行した。ドイツの三国同盟に対抗するため,まず露仏同盟の絆を固くして 1904年英仏協商を締結し,両国間の長年の対立関係に終止符を打った。日露戦争中もイギリス,ロシアの調停に努め,07年の三国協商への道を開いた。この間ドイツはモロッコにおけるフランスの優越的地位に対して外交攻勢を加え,デルカッセはイギリスとの協商関係を頼みとして対ドイツ強硬方針を主張した。しかしフランスは単独でドイツとの戦争に踏切る力をもっておらず,デルカッセは内閣からも議会からも孤立して外相を辞任 (05.6.) 。 11年海相として返り咲き,13年ロシア大使として皇帝ニコライ2世の信任を得た。第1次世界大戦の勃発とともに再び外相となって (14.8.) ,イタリア,イギリス,ロシアとの間にロンドン条約を結んだが,ブルガリアに対する外交政策の失敗によって辞任した (15.10.) 。

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