『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』によると、物事を立て通そうとする意で、「立(たて)」の濁ったものだという。この説が一般に行われているが、ほかに、伊達政宗(まさむね)の部下が華美な装いをしたのに基づくという説もある。いずれにしろ、人目につくようなはでな装いやふるまいをすることが第一義で、『日本国語大辞典』第2版には「さすが茶人の妻、物ずきもよく気もだてに」(近松門左衛門著『鑓(やり)の権三重帷子(ごんざかさねかたびら)』)、「是(これ)さ大罪人の堕獄人(だごくにん)、この袈裟衣(けさごろも)はだてに着るか、化粧(けそう)に着るか」(同著『曽我(そが)五人兄弟』)を用例としてあげている。前者はいわゆる「粋(いき)」を意味し、後者は「見栄(みえ)をつくって」の意。諺(ことわざ)の「だての薄着(うすぎ)」とは、見栄を張って寒空にわざと薄着をすることで、江戸の町火消(まちびけし)、鳶者(とびのもの)は寒中でも白足袋(たび)はだし、法被(はっぴ)一枚の「男伊達(おとこだて)」を貴んだ。「男伊達」ないし「男達(だて)」は「男気のある人」の意で、侠客(きょうかく)や、侠士をさすことが多い。「だて眼鏡」は、近視でも老眼でもないのに見栄を飾るための眼鏡である。
[古川哲史]
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...