ダルルイスラム

改訂新版 世界大百科事典 「ダルルイスラム」の意味・わかりやすい解説

ダルル・イスラム
Darul Islam

1940年代末から60年代半ばにかけて,インドネシアで展開された反政府武力闘争,およびその組織。目標イスラム国家樹立であった。1948年1月にオランダとの間で調印されたレンビル協定により,インドネシア共和国の領土は分断された。このうち,西部ジャワにはパスンダン国が設立されることになったが,これに抵抗する西部ジャワ各地のイスラムの過激派は,同年カルトスウィルヨの指導下でダルル・イスラム(〈イスラムの大地〉の意味)を結成した。次いで翌49年8月には〈インドネシア・イスラム国家〉の成立を宣言して,パンチャ・シラおよび1945年憲法を基礎とするインドネシア共和国と正面衝突するにいたった。ダルル・イスラム系の軍隊は西部ジャワ各地で共和国軍との間にゲリラ戦を展開するとともに,独自の憲法を制定してジャワ島以外の各地のイスラム系勢力にも反乱に呼応するよう呼びかけた。カルトスウィルヨは62年6月に逮捕・処刑され,西ジャワの治安はようやく回復されたが,イスラム国家樹立の反乱は,その後も,元共和国軍士官カハル・ムザカルの率いるスラウェシ南部やアチェにおいて展開され,スラウェシ南部の反乱軍は65年にいたってようやく鎮圧された。スラウェシ反乱軍の宣言(〈新しいマジャパイト帝国主義を粉砕せよ!〉)にみられるように,これらの反乱の根底にはイスラム信仰の強さに加えて,ジャワ人による共和国支配に対する反発憎悪があった。
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デジタル大辞泉プラス 「ダルルイスラム」の解説

ダルル・イスラム

《Darul Islam》インドネシアの西ジャワ州、バンテン州、東カリマンタン州、マレーシア東部のサバ州で活動するイスラム過激組織。イスラム教国家の建設を目標に掲げる。1950年代には複数の地方反政府勢力の総称として呼称されたが、1970年代に単一勢力として再編。その後複数勢力に分裂し、現在の勢力は不明。

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