アメリカのプロテスタント神学者,哲学者。ドイツのルター派教会の牧師の子として生まれ,神学と哲学を学んだあと牧師となる。第1次世界大戦中には従軍牧師となり,兵隊との接触から大衆と教会の遊離を痛感し,戦後は宗教社会主義の運動に参加,キリスト教とマルクス主義の相互批判を経た総合の立場を理論的に展開した。その理論構築から生まれたのが〈充満の時〉を意味する〈カイロス〉や,創造的かつ破壊的な力を意味する〈デモーニッシュ〉など新約聖書の用語の,歴史哲学と社会哲学における概念化である。そこからさらに〈プロテスタント時代の終焉〉という時代認識とともに,永続的なる真理としての〈プロテスタント原理〉の主張がなされ,批判力としてのみならず文化形成力としてのプロテスタンティズム論を展開した。ナチズムの台頭に直面しつつ〈他律的〉かつ〈デモーニッシュ〉な全体主義と,〈自律的〉であるが空虚で無力な自由主義をともに超える〈神律的〉文化を提唱した。それは〈宗教は文化の実体であり文化は宗教の形式である〉との主張を根本とするものである。このような論陣を張りつつベルリン,マールブルク,ドレスデン,ライプチヒの各大学で教えていたが,1933年ナチズムを批判したためにフランクフルト大学の教授職から追放された。
ニーバーの招きを受けてアメリカに移住(1940年帰化),ニューヨークのユニオン神学大学の哲学的神学の教授となる。第2次大戦中はヨーロッパからの移民,亡命学者,とくにユダヤ人の救済援助のために努力し,やがてニーバーと並ぶアメリカの代表的な神学者,宗教思想家となる。キルケゴールなどの実存主義を紹介しつつフロイトの精神分析を高く評価し,神学と実存哲学,宗教と心理学の協力・総合の道を開き,とくに実存心理学と牧会心理学に貢献した。ティリヒ思想の特色は,異なる領域の境界に立って弁証法的な道を創造的に形成することにあり,それは神学と哲学,宗教と文化,存在と実存などの相関関係を方法論とした大著《組織神学》3巻(1951-63)に体系化された。これはK.バルトの教義学に匹敵する神学である。55年ハーバード大学教授となる。60年来日,東洋の宗教と文化に目を開かれ,将来の神学は東洋の宗教史との対話の中で生まれるとシカゴ大学での最終講義で述べた。邦訳《ティリッヒ著作集》がある。
執筆者:古屋 安雄
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プロテスタント神学者、哲学者。北ドイツに生まれ、学業を終えてのち、第一次世界大戦に牧師として従軍。1919年ベルリンを最初にマールブルク、フランクフルトなどの大学で教えたが、宗教社会主義運動の指導者としてナチスにより解職され、1933年アメリカに渡る。後半生はユニオン神学校、ハーバード、シカゴ大学の教授としておもにアメリカで活動した。その思想の中心テーマは、キリスト教の啓示(福音(ふくいん))を現代の状況に関連づけて再解釈することにあった。彼はこの自らの立場を「相関の方法」による「答える神学」とよび、K・バルトらの弁証法神学から区別した。この立場では哲学のみならず、文学、芸術、教育、社会、政治など、およそ文化全般が宗教的な意味をもつことになる。彼はこうした視点から、現代社会における人間の問題に深い洞察を示し、大きな影響を与えた。『組織神学』3巻など著書も多い。
[田丸徳善 2015年3月19日]
『谷口美智雄・土居真俊訳『組織神学』全3巻(1955~1984/復刊・1990〜2004・新教出版社)』
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