フランス革命においてモンターニュ派(山岳派)の中心として政権を握っていたロベスピエール派を没落させた1794年のクーデターと、これを契機とする革命の急進化の終結をいう。クーデターが革命暦によるテルミドール(熱月)9日(7月27日)に起こったのでこの名があり、「テルミドール」は革命の終結へ向かう「反動」を意味することとなった。ロベスピエール派の没落の原因としては、公安委員会内部におけるロベスピエール派と反対派との対立、公安委員会と保安委員会という二大独裁機関相互の対立もあるが、それらも、内乱が鎮静化し、フルーリュスの戦勝(1794)による外戦の好転によって革命への危機が薄らいだ、という条件のもとで、公安委員会の小ブルジョア(サン・キュロット)独裁の緩和の要求が強まったという状況に対応するものであった。このような状況はまた、それまで独裁を甘受していた議会内のブルジョア的党派(すなわち沼沢派とか平原派とよばれた中道派とジロンド派の残党)の反抗を呼び起こし、しかも、エベール派の弾圧や恐怖政治そのものによってサン・キュロットの活力がそがれており、土地を得た農民も保守化しており、全体的にロベスピエール派への支持が低下していたことが、クーデターの成功を許すことにもなった。クーデターを起こした勢力は初め独裁の緩和のみを目ざしたが、とうとうたる反動の進行を止めえなかった。
[樋口謹一]
…だが,このような分派抗争によって,国民公会の多数派は恐怖政治の進展に不安を抱くようになり,7月27日(テルミドール9日)にロベスピエールを失脚させるクーデタが成功し,その翌日,ロベスピエールたちは処刑された。それ以後,革命は退潮に向かうことになるので,このクーデタは〈テルミドールの反動〉とも呼ばれている。また,一般的には,革命がその頂点から反動に向かう転換期を〈テルミドール〉と呼ぶことが多い。…
…18世紀末にフランスで生じた革命。1787年に王権に対する貴族の反抗で口火が切られ,89年から全社会層を巻き込む本格的な革命になり,絶対王政を倒して,立憲王政から共和政へとしだいに急進化したが,94年のテルミドールの反動ののち退潮に向かい,99年にナポレオンの政権掌握をもって終わる。単に政治上の変革であるにとどまらず,前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命であるので,世界史上,ブルジョア革命(市民革命)の代表的なものとされる。…
※「テルミドールの反動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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