改訂新版 世界大百科事典
「ディオニュシオス1世」の意味・わかりやすい解説
ディオニュシオス[1世]
Dionysios Ⅰ
生没年:前430ころ-前367
シラクサの僭主。在位,前405-前367年。前405年に全権将軍に選出され,護衛兵設置を認められて僭主への決定的な一歩を踏み出す。この年内乱に直面して交戦中のカルタゴと不利な条件で和約を結ぶと,奴隷を解放しまた傭兵を集めて新市民とし,自己の軍事力を強化させた。この後シチリア各地に勢力を拡大し,前398年にカルタゴと戦闘を始めて前392年の和約でその支配圏を大幅に拡大した。また南イタリアにも進出して自己の勢力下におさめた。前382年にカルタゴとの戦闘を再開した。スパルタと友好的であった彼の政策は同時代のギリシアの政治に大きな影響を与えた。プラトンを招いたり,自ら悲劇を書くなど文芸愛好家としても知られる。
執筆者:前沢 伸行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ディオニュシオス1世
ディオニュシオスいっせい
Dionysios I
[生]前430頃
[没]前367
古代ギリシア,シラクサ (シラクーザ ) の僭主 (在位前 405~367) 。前 405年戦争の危機を利用し,民会を扇動して全権将軍,事実上の僭主となる。以後8年間は政敵を打倒し,ナクソス,カタナなどからギリシア人を放逐して傭兵やシチリア人を移住させるなど,自己の権力拡大に努力。カルタゴとの戦争 (前 397~392) では苦戦しながらも敵の攻撃を退け,有利な条件で和平を結び,シチリアでの勢力を強化。前 390年以降は南イタリアヘ遠征し,南イタリアのギリシア諸都市の大半を支配下においた。前 382年再びカルタゴと戦争を始め,大敗した (前 375?) にもかかわらず,前 368年に再開,苦戦のうちに没した。彼は暴君ではあったがシラクサに繁栄をもたらし,シチリアへのカルタゴの進出をはばみ,またギリシアの政局への影響も大きかった。さらに詩人を自認し,みずから悲劇を書くとともに宮廷へプラトンらの学者,文人を招きヘレニズムの高揚に努めた。
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ディオニュシオス1世(ディオニュシオスいっせい)
Dionysios I
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のディオニュシオス1世の言及
【シチリア[島]】より
…その後一時民主政が興ったが根付かず,前5世紀末の前後2回にわたるアテナイ軍遠征の失敗とカルタゴの侵入はシチリアにおける内紛を再燃させ,その収拾の過程で再び僭主政が興った。シラクサを中心として,[ディオニュシオス1世],[ディオニュシオス2世],[アガトクレス]らの僭主が出現した。この間,前4世紀前半に哲人王を理想としたプラトンが3度シラクサを訪れたことは有名である。…
【シラクザ】より
…前5世紀後半にほぼシチリア全島と南イタリアの一部を勢力下に収めたシラクサは,ギリシア世界の盟主アテナイと衝突するまでになり,その壮烈な戦いはトゥキュディデスの作品にみごとに描かれている。僭主の典型といわれる[ディオニュシオス1世]は38年間権力の座にあり,古代ギリシアの歴史家ディオドロスは〈史上最強で最長の僭主〉と述べ,アリストテレスは,民衆扇動により権力を掌握した人物の典型として何度も引用している。ついで[ディオニュシオス2世],陶工の息子から権力を握った[アガトクレス]と僭主がつづき,[ヒエロン2世]の支配となる。…
【ダモクレス】より
…前5~前4世紀の人で,シラクサの僭主[ディオニュシオス1世]の廷臣。生没年不詳。…
【ディオン】より
…シラクサの有力な政治家。ディオニュシオス1世の義弟で義理の息子。前389年にシチリアを訪れた哲学者プラトンの教えに傾倒し,1世の死後その後を継いだディオニュシオス2世を〈哲人王〉とすべく試みるが失敗してアテナイに亡命。…
※「ディオニュシオス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」