日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナッシュ」の意味・わかりやすい解説
ナッシュ(John Forbes Nash, Jr.)
なっしゅ
John Forbes Nash, Jr.
(1928―2015)
アメリカの数学者で、ゲーム理論の第一人者。ウェスト・バージニア州ブルーフィールド生まれ。1948年カーネギー工科大学(現、カーネギー・メロン大学)で化学工学の学士号、修士号を取得したのち、1950年にプリンストン大学で数学の博士号を取得する。マサチューセッツ工科大学数学教授就任直前の31歳のときに統合失調症を発症し、同大学を退職する。長年苦しんだすえ、奇跡的な回復を遂げた。1994年に「非協力ゲーム理論を構築し、均衡分析という概念を導入してゲーム理論を飛躍的に発展させた」との理由で、J・C・ハーサニー、R・ゼルテンとともにノーベル経済学賞を受賞した。
プリンストン大学在籍中の22歳のときに、博士論文である「非協力ゲーム理論」Non-Cooperative Gamesを発表する。それまでのゲーム理論を「協力的ゲーム」と「非協力的ゲーム」に峻別(しゅんべつ)し、非協力ゲームにおいて、利害の異なる主体が別々に行動した場合でも、それぞれが戦略的に満足できて最適の状態、「ナッシュ均衡」(Nash equilibrium)に落ち着き、社会が安定した状態になることを数学的に証明した。これはフォン・ノイマンらが1940年代までに確立したゲーム理論を革新的に発展させ、マクロ政策、通商、企業組織と契約、企業金融、環境問題などの経済分野だけでなく、政治、社会、生物学などの分析にも役だつ有用な道具とした。
ナッシュの数奇な運命をたどった半生はノンフィクション作品『ビューティフル・マインド』として1998年に出版され、2001年には映画化されてアカデミー作品賞、監督賞などを受賞した。
[金子邦彦]
『シルヴィア・ナサー著、塩川優訳『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』(2002・新潮社)』
ナッシュ(Paul Nash)
なっしゅ
Paul Nash
(1889―1946)
イギリスの画家。ロンドンに生まれる。スレード美術学校に学んだのち、1912年ニュー・イングリッシュ・アート・クラブで作品を発表し始める。第一次世界大戦中は従軍画家として活躍し、抽象化された画面に荒廃した自然の姿をとらえて注目を浴びた。33年には前衛的な芸術家の集団「ユニット・ワン」を結成している。28年に見たデ・キリコの作品に触発され、一時シュルレアリスムに関心を向け、36年の国際シュルレアリスム展にも参加したが、彼の自然に対する深い愛着は終生変わることなく、その後も先史時代のモノリスmonolith(一枚岩)などの立ち並ぶ幻想的な風景を描いている。彼の著作は死後、ハーバート・リードの手でまとめられ、『アウトライン』(1949)として出版された。ハンプシャーのボスコムで没した。
[谷田博行]
ナッシュ(David Nash)
なっしゅ
David Nash
(1945― )
イギリスの彫刻家。サリー州イーシャに生まれる。キングストン美術学校、ブライトン美術学校、チェルシー美術学校に学ぶ。1967年北ウェールズ地方のブライナイ・フェスティニョグに移住する。1980年ニューヨークのグッゲンハイム美術館の「ブリティッシュ・アート・ナウ」で世界的に注目される。82年(昭和57)「今日のイギリス美術」展出品のため来日し、厳冬の奥日光で倒木により作品を制作。「木は、私にとっては、人間の命に相当する植物です」と述べている。現代美術において、自然とのかかわりを深く保ちながら制作を続けている作家の一人であり、素材にあまり手を加えず、木の枝や幹をそのまま生かした作品が多い。84年(昭和59)には滋賀県立近代美術館での「現代彫刻国際シンポジウム」に参加。94年(平成6)北海道音威子府(おといねっぷ)に滞在して作品を制作し、北海道立旭川(あさひかわ)美術館にて「デビッド・ナッシュ展――音威子府の森――」を開催する。2001年東京西村画廊にて個展を開催。
[斉藤泰嘉]
『酒井忠康著『魂の樹――現代彫刻の世界』(1988・小沢書店)』
ナッシュ(Thomas Nashe)
なっしゅ
Thomas Nashe
(1567―1601)
イギリスの物語作家、パンフレット作家。「大学出の才人」の1人で、ケンブリッジ大学卒業後、R・グリーンらと短期間大陸を旅行、1588年以後ロンドンに居を定めて文筆活動を始める。代表作はイギリスにおける悪漢小説(ピカレスク・ノベル)の嚆矢(こうし)となった『悲運の旅人』(1594)であるが、文学上・宗教上のさまざまな論争にかかわり、多くの風刺的パンフレットを書いた。『文なしピアスが悪魔への嘆願』(1592)は、猥雑(わいざつ)粗野な活気にあふれた当時のロンドンの生活・風習を活写している。劇作もある。
[岡本靖正]
『北川悌二・多田幸蔵訳『悲運の旅人』(1969・北星堂書店)』▽『北川悌二・多田幸蔵訳『文なしピアスが悪魔への嘆願』(1970・北星堂書店)』
ナッシュ(John Nash)
なっしゅ
John Nash
(1752―1835)
イギリスの建築家。ロンドンに生まれる。R・テーラーの下で修業を積んだのち、建築家として独立したが、1783年に破産し、ウェールズに退いた。しかし96年ごろ、風景式庭園の造園家H・レプトンと組んでピクチャレスクなカントリーハウスの建築家としてふたたび頭角を現し始めた。その後、時の摂政(せっしょう)(後のジョージ4世)に接近し、彼の支持を得てロンドンのリージェント街およびリージェント・パークの大規模な建造計画(1811~25)のほか、ブライトンのロイヤル・パビリオンの改築(1815~21)やバッキンガム宮殿の建造計画(1824~30)に参画した。しかし、1830年ジョージ4世が亡くなると、建設費用の横領などの嫌疑をかけられ、いっさいの公的な仕事から引き離された。ワイト島で没。
[谷田博行]