弁証法とは,元来は対話術(ギリシア語でdialektikē technē)を表すことばであり,仮設的命題から出発しつつ,その仮設からの帰結にもとづいて,当の仮設的命題自身の当否を吟味する論理的手法を意味する。パラドックスで有名なエレアのゼノンがこの手法の元祖といわれる。ソクラテスの問答的対話術を承けたプラトンにおいては,公理的前提から出発する幾何学などの悟性知の論理と区別して,弁証法こそが哲学的な真知学の方法とされる。そこでは,仮設から出発して原理へと上昇する途と,原理から下降する途とが方法論的に区別されてもいる。アリストテレスにおいては,プラトンにおける下降の途ともいうべきもの,つまり,原理から出発する論証的推理が第1位におかれ,弁証法はエンドクサendoxa(一般的に承認されている意見)から出発して原理そのものの設定を図る学理的一手法として第2位に置かれる。しかし,第3位の争論的推理や第4位のパラロギスモスparalogismos(幾何学などのごとくその学問に固有の前提から出発するもの)よりも上位に位置づけられていることに留意を要する。古代末期から中世を通じては,アリストテレス流の区別的語法が消え,弁証法は,論理学一般の同義語とされるようになっていた。
近代も18世紀になって,カントが再び論理学一般と弁証法とを区別した。カントの場合,Dialektikとは,悟性論理を超経験的な物自体界にまで推及しようとする,人間理性にとって必然的ではあるが所詮は〈仮象の論理学〉にすぎないものとされる(カントの場合,Dialektikは〈弁証論〉と訳される)。カントは,矛盾律を原理とする形式論理は真理にとって十分条件ではないが必要条件であると考え,形式論理を超経験界にまで適用しようとするかぎりで弁証論的過誤に陥るという。
ヘーゲルは,これに対して,人間理性は経験的世界においてすら汎通的に弁証法的矛盾に当面することを指摘し,形式論理は真理にとって必要条件ですらないと言いきる。彼は,ここに,矛盾律を絶対化する悟性論理(形式論理)を退け,矛盾律(および同一律や排中律)をも相対化する理性論理としての弁証法を宣揚することになった。真に学理的な方法としての弁証法とは,〈自己自身を吟味し,自己自身で自己の限界を規定しつつ,内在的に自己止揚していく思惟の運動〉である。ここに,そのつどの仮設的措定命題を順次に吟味・弁駁(べんばく)していく対話術的手法,プラトンにおける弁証法の含意が回復されていることに注意されたい。ヘーゲルはまた,彼が学問体系第1部として企てた《精神現象学》においてはプラトンの上昇の途をとり,本来の体系たる《論理学》以下においては下降の途をとっている,ということもできる。ヘーゲルの弁証法は,単なる学理的手法や主観的論理ではない。彼固有の絶対的観念論に支えられて,それは同時に存在界の理法でもある。いっさいの悟性的固定化の排却と相即する弁証法的存在観においては,万物が流転的生滅の通時的変化相で観ぜられるだけでなく,万象が相互的浸透の共時的関連相で観ぜられる。この存在観のもとでは,いわゆる〈実体〉や〈本質〉でさえ変化するものとされ,しかもその変化は〈否定の否定〉を通じて,正・反・合の段階的進展相を呈するものとされる。
マルクスは,ヘーゲル弁証法の〈観念論的倒錯〉を是正しつつ,合理的核心を継承しようとする。ヘーゲルにおいて弁証法が同時に存在の理法でもあったのは,それが世界理性,つまり,主体=実体たる絶対精神の自己疎外と自己回復のらせん的進行過程の軌跡ともいうべきものだったからであるが,マルクスは現実界を超越的イデーの自己疎外的実現とみる観念論を退けることによって,弁証法的な過程的構造は現実界そのものの過程的・構造的な一般的法則性にほかならないものとみる。しかも,ヘーゲルが弁証法的否定を云々しながらも結局のところは体系的自己完結性を説いたのに対して,マルクスは体系的自己完結性を破壊する契機としての否定性をより積極的に主張する。エンゲルスは,この存在界の法則性としての弁証法という部面に主眼を置いて論じているが,マルクスは,経済学の方法を論考する文脈において,学理的方法としての弁証法についても自説の一端を述べ,《資本論》で弁証法的な体系構成法を活用している。マルクスは,具体的な眼前の現象から抽象的・一般的な規定性の確定へと至る途と,このようにして確定された抽象的・一般的な概念規定態から出発して,現実界そのものでこそないが,現実界の存在規定を〈精神的に具体的なもの〉として〈再生産〉する途とを区別する。これら二途はプラトンにおける上昇の途と下降の途とに遠く呼応するということもできる(ただし,マルクス主義においては,前者が〈下向〉,後者が〈上向〉と呼ばれ,上下の了解がプラトンの場合とは逆になっている)。マルクスによれば,前者(下向法)は研究の手続ではあるが,学問的体系構成法としてはもっぱら後者(上向法)だけが認証される。このさい,しかし,マルクスの下向法は,プラトンやヘーゲルの上昇とは異なって絶対的なアルケー(原理・端初)を設定するものではなく,したがって,マルクスの上向法aufsteigende Methodeは絶対的端初からの自己展開ではない。マルクスは,プラトン=ヘーゲル的な上昇と称されるものも絶対的端初を獲得しうるものではなく,たかだかエンドクサ(一定の時代的通念において一般的に妥当する意見)でしかありえないことを自覚しており,エンドクサからの上向を方法論化する。そして,この上向の弁証法において,マルクスはヘーゲルが《精神現象学》において不十分ながらもとっていた対話術的手法をより積極的に方法化する。それは〈当事者の直接的意識にとってfür es〉現前する相と〈学理的反省にとってfür uns〉認識される相とを区別しつつ,前者と後者との一種の対話的手法によって,認識の準位を段階的に高めていく体系構成法である。マルクスの物象化論の論理もこの方法論に支えられている。
エンゲルスは,形式論理と弁証法とを初等数学と高等数学とになぞらえる流儀で論じており,学理的方法ないし論理学としての弁証法という了解を退けるわけではない。しかし,彼の場合,第一義的には〈存在界ならびに思考の一般的な運動・発展の法則,および,それについての学理的認識体系〉として弁証法が規定される。エンゲルスの大部の遺稿《自然弁証法》(自然弁証法)はこのような了解にもとづいて書き進められており,そこでは,(1)〈量より質への転化〉,(2)〈対立物の統一〉,(3)〈否定の否定〉が弁証法の三大法則として掲げられている。(1)は,存在界における変化を現象面にしか認めない伝統的な形而上学的(=非弁証法的)存在観に対するアンチ・テーゼをなすものである。伝統的な存在観においては,実体そのものは不生不滅であり,変化というのは現象面でのできごと,本質的な質的同一性を保ったままでの量的変化にすぎないとみなしてきた。そして,この量的変化はまさに量的変化(質的同一性を保ったままでの変化)にすぎないがゆえに,異質のものへの変化にいたることはなく,漸次的・連続的な変化でしかありえないとされる。これに対して,弁証法では,量的変化はある局面において,旧来の質とは別の質への飛躍的変化,不連続的変化を遂げるのが通則であることを主張する(量より質への転化の法則には,共時的な量規定の増大に伴う質規定の変化や,量と質との相互転化など,もろもろの下位的法則が含まれる)。(2)の〈対立物の統一〉というのは,諸実体,諸属性はそれぞれ自己完結的であるとみる伝統的な存在観に対してのアンチ・テーゼをなすものである。
弁証法的存在観においては,性質はそれ自身で当の性質なのではなく,対他的な反照関係においてはじめてその性質として成立するものであり,いわゆる実体といえども対他的反照関係の結節的存在であると観ぜられる(対立物の相互浸透,対立物の統一の法則には,対立的規定の相互転化,固有の他者との矛盾的統一,その他,もろもろの下位的法則が含まれる)。(3)の〈否定の否定〉は,否定とは単なる主観の働きにすぎず,二重否定はもとの肯定に復帰するとみなす伝統的な了解に対するアンチ・テーゼであって,否定は対象的活動であり,否定態の再否定は肯定態への復帰とはいっても高次的回復であってもとのままではないことを主張する。いわゆる正・反・合はこの法則を図式化したものにほかならない。
マルクス=エンゲルスの思想を継承した自称他称の〈マルクス主義者〉たちにおける弁証法観や弁証法の処遇はかなり多様である。マルクス主義を社会主義思想の主流に押し上げたドイツ社会民主党の理論的指導者E.ベルンシュタインやK.カウツキーは,弁証法を一種の〈進化論〉と受けとり,マルクス=エンゲルスの弁証法にみられるそれ以上の諸契機は〈悪しきヘーゲル弁証法の残渣(ざんさ)〉として排除しようとした。ロシア・マルクス主義は弁証法を客観的存在界の一般的法則性として受けとるむきが強く,スターリンは〈否定の否定〉を弁証法の根本法則から除外した。これに対して,一時期のルカーチ G.を源流とするいわゆる西欧マルクス主義においては,客観的法則性としての弁証法を否認するむきが強く,弁証法は主体と客体との実践的相互媒介の場にかぎって成立すると主張する。
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一つの物事を対立した二つの規定の統一としてとらえる方法。だが、弁証法の語源にあたるギリシア語の「ディアレクティケーdialektikē」は「問答法の」という意味の形容詞であるから、名詞を補うと、「ディアレクティケー・メトドス」(『国家』533c7)、もしくは「ディアレクティケー・エピステーメー」(『ソピステス』253c2-3)となる。ディアレクティケーは、プラトンによると、問答によって、「それぞれのものがまさにそれであるところのもの」へと迫り、ついにはものの第一原理、善そのものを知性の働きによって直接に把握しようとする探究の行程(メトドス)、言論の旅路(ポレイアー)であって、これこそ最高の学問(エピステーメー)である(『国家』592a以下)。
プロティノスは「ディアレクティケー」を「それぞれのものが何であり、いかなる点で他と異なっているのか、そして共通点は何であるのかをことばでもって表すことのできるわざである」と定義して、「上方の世界に導かれるにふさわしい人は、(1)知を愛し求める人、(2)美しい音色を好む人(音楽・文芸の教養のある人)、(3)愛に生きる人でなければならぬ。この3種の人に、感性界から知性界への旅路と、知性界から、そのはてへの旅路という2段階の旅路がある。ディアレクティケーは、われわれを〈善〉、〈第一原理〉へと導く道程である」と述べている。
ソクラテスの問答法は、特定の相手との問答を通して「ものの何であるか」を考察するものであるが、それはほとんどの場合、まったくの否定に終わってしまった。ヘーゲルは、懐疑主義思想の研究を通じて、その否定のなかにひそむ肯定の契機が出てくるとみなして、弁証法を一つの物事を対立した二つの規定の統一としてとらえる方法という緩やかな意味で用いた。
その対立の統一・矛盾を真かつ必然とみなすか、偶然かつ仮象とみなすか。運動の存在を主張することに含まれる「アキレスと亀(かめ)」のような矛盾を指摘して、運動、変化、多様の存在を否認したゼノンはアリストテレスによって弁証法の父とみなされた。しかしゼノンの論理を認めて、なおかつ運動の存在を認める者は、「運動が矛盾の実在を証明している」と主張する。「万物は流転する」と語ったと多くの人がみなしてきたヘラクレイトスは、「人は同じ川に二度入ることができない」という。彼によれば、宇宙は絶えず消えつつ燃えている火のようなものである。静止して存続している物も、実際には二つの対立する力が均衡している不安定な状態である。近代においても、ヘーゲルは、存在を、絶えず新陳代謝によって、自己を外界に分解させながら、同時に自己を再生産し、同一を維持することだと把握している。対立する力の均衡という本質が、静止した存続という現象を支えている。
前述のように「ディアレクティケー」は、「問答法の」という意味であり、プラトンの著作では、ソクラテスの批判に応答しながら、真理に到達する方法、否定を通じて精神が真理にまで高まる過程が弁証法である。否定を通じて高揚する精神は同一の精神である。
ヘーゲルによれば、精神に限らず、発展・成長・変化するものには、「他となりつつ同一を保つ」という「対立の統一」が含まれている。発展・変化の限界点では違うものが同じものである。この限界の矛盾性が、数学においては微分に表現される極限点に成立する。グラフ上接点で示される極限点では、曲線が直線に等しい。微分の弁証法的な解釈には、「点の本質的な規定として隣接点との関係が含まれる」という原理がある。もの一般にこの原理を拡張すると、「あるものの本性には他のものとの異なり等の関係が内在する」となる。これは、「関係は実体と同様に実在する」といっても同じことである。ここからさらに、「内的な本質とは多様な関係の集約である」という規定を導き出すと、問題は内なるものと外なるものとの関係という構造に射映される。
ヘーゲルは、同一の構造を心の内省のうちにもみいだす。心がその心を意識するとき、意識する心と意識される心とは、同一であって、しかも同一ではない。主観としての心と客観としての心が同一であるからこそ、外部の媒介を経ない直接の知が成り立つ。たとえば、山を見る私は自分が「山を見ている」ということを知っており、「見る」という意識活動を意識する反省意識は見る意識と同時に働く、同一の意識である。しかし、知る主体と知られる客体という作用面での区別がある。したがって、内省・反省のうちには「区別のない区別」という対立者の同一が含まれる。
内なるものと外なるもの、本質と現象、一なるイデアと多なる個物、意味するものと意味されるもの、主観と客観は、内省・「自己意識」の構造を媒介として統一される。ヘーゲルは、新プラトン派の説く「イデアの流出」や、キリスト教的な「受肉」の概念をこれによって合理化する。その結果として生まれる「ものの把握」(概念)には、本質という普遍、「このもの」という個別、本質が個別化されているという媒介関係そのもの(特殊)が含まれている。これを要約すると、「ものとは推論(普遍、特殊、個別の総合)である」となる。ヘーゲルは、「三要素の一体」という新プラトン派の観念を、キリスト教の「三位(さんみ)一体」に重ね合わせ、近代汎神論(はんしんろん)の土台の上に据え直す。
従来、ヘーゲルの弁証法を定立(テーゼ)、反定立(アンチテーゼ)、総合(ジンテーゼ)の三段階(略して正・反・合)で構成される論理であるという説明が行われてきたが、この語法はヘーゲルのテキスト中にはない。フィヒテの用語を援用してヘーゲル弁証法を説明したものである。
ヘーゲルの弁証法では、数の連続体における限界の弁証法、等質性の弁証法と内と外の弁証法、非等質性の弁証法が重ね合わせになっているが、キルケゴールの「質的弁証法」では、非等質性のなかに逆説的なものが導入されてくる。たとえば、「イエスと自己との2000年を隔てた同時性」という概念がある。K・バルトの「弁証法神学」には、神人の絶対的な断絶のさなかにおける存在の同一という思想がある。キルケゴール、バルトでは、連続性・等質性を拒否した断絶における逆説的な媒介が、弁証法の概念を形づくっている。
マルクス主義では、認識以前の物質の構造が精神に反映されて、弁証法の構造となると主張される。自己意識の内省構造の弁証法性を否認して、「関係の実在性」という存在論的な規定として弁証法がとらえられる。
[加藤尚武]
『小林登著『弁証法』(1977・青木書店)』▽『R・ブプナー著、加藤尚武・伊坂青司・竹田純郎訳『弁証法と科学』(1983・未来社)』▽『ヘーゲル著、寺沢恒信訳『大論理学』(1983・以文社)』▽『中埜肇編『ヘーゲル哲学研究』(1986・理想社)』▽『茅野良男著『弁証法入門』(講談社現代新書)』
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ギリシアでは対話,弁論を意味したが,現在では存在と思惟の発展原理およびその自覚としての論理学。カントでは仮象の論理という否定的意味しか持たないが,ヘーゲルでは正(テーゼ),反(アンチテーゼ),合(ジンテーゼ)の3段階で進む精神の自己実現の過程とされ,合は前2者を自己のうちに止揚(アウフヘーベン=それを解消しつつ,高めて保存)すると主張された。マルクスはヘーゲルの存在と意識の関係を逆転して,唯物弁証法を展開した。
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…ローマ帝国皇帝,ビザンティン帝国皇帝。在位474‐475,476‐491年。426年生れともいわれる。前名タラシコディッサTarasikodissa。イサウリア族族長でレオ1世の要請でアスパルに代表されるゲルマン勢力に対抗するために宮廷に招かれる。皇女アリアドネと結婚しゼノンを名のる(466)。レオ1世の没後(474),7歳の息子がレオ2世として登位するが,彼が同年没したため正帝となる。475年先帝の義弟バシリスクスに帝位を奪われるが,翌年復帰し,同年西の正帝ロムルス・アウグストゥルスが没したあと,ローマ帝国唯一の皇帝となる。…
…そして第2の主著《論理学》(1812‐16)が出される。
[弁証法と国家論]
ヘーゲルは《論理学》でカテゴリーに関するカントの学説を超えようとする。あらゆる事物には,カテゴリーの形式が内在する。…
※「弁証法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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