デュレ(英語表記)Théodore Duret

改訂新版 世界大百科事典 「デュレ」の意味・わかりやすい解説

デュレ
Théodore Duret
生没年:1838-1927

フランスの美術批評家,ジャーナリスト,コレクター。サントの豊かな酒造家の家系に生まれる。若いころから多く旅をし,1865年にマドリードを旅行中にマネに出会い友情を結ぶ。共和主義思想に共鳴し,68年ゾラらと《ラ・トリビューン・フランセーズ》を創刊して論陣を張り,パリ・コミューンに際しては9区の副区長を務めるまでになるが,敗北後はかろうじて処刑を免れ世界周遊の旅に出る。このとき中国,日本に滞在して,両国の美術のヨーロッパへの紹介に貢献する。70年よりサロン(官展)評を書きはじめ,72年東洋から帰ってからは政治を離れてこれに専心し,みずからマネや印象派作品を収集。彼の《印象主義の画家たちの歴史》(1878)は,印象派擁護のまとまった書物としては最も早いものである。経済的困難からコレクションを手放したあとは,ホイッスラーセザンヌゴッホ,ロートレック,ルノアールらのモノグラフを執筆して晩年を過ごし,89歳の高齢でパリに没した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュレ」の意味・わかりやすい解説

デュレ
Duret, Théodore

[生]1838. サント
[没]1927. パリ
フランスの美術評論家。初め政治記者をつとめ,1868年には共和系の新聞『ラ・トリビューン』を創刊。その後,印象派の画家たちと交遊,彼らの新しい芸術の最初の理解者の一人となる。『印象派の画家たち』 Les Peintres impressioniste (1878) は,印象派について書かれた最初の批評的著作となった。その他,印象派史,マネ,ルノアール論,さらに日本美術についても著作を残している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「デュレ」の解説

デュレ

フランスの作曲家。1907年にドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》を観て音楽を志したデュレの初期の作品は、その影響を強く反映している。その後、シェーンベルク無調の音楽の影響も受けた。スコラ・カン ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android