ドイツの数学者。ブラウンシュワイクに生まれる。16歳まで同地のギムナジウムに学び、1848年にカロリーネという名の学校へ移り、代数学や微分積分学の初歩を学んだ。1850年にガウスがいるゲッティンゲン大学へ進み、オイラー積分に関する研究によって学位を得た。1854年ゲッティンゲン大学無給講師。1855年にガウスが死去、その後任にベルリン大学のディリクレが着任、またリーマンが助教授になり、環境はすばらしいものになった。1858年にチューリヒ大学教授となり、1862年にブラウンシュワイク工業専門学校の教授となって、以降ここで50年間教壇に立ち、その生涯の幕を閉じた。
デーデキントは有理数の全体を二つの組に分け、それの「切断」として「無理数」を定義した。そして、実数に関する種々の理論をまったく純論理的に取り扱うことができるようにして解析学の構造を変え、解析学の問題を飛躍的に発展させた。「切断」を導入したのは1872年の論文「連続性と無理数」においてである。さらに「イデアル」を導入して、「イデアル論」への道を開いた。
[小堀 憲 2018年9月19日]
1 多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を...