トゥグリル・ベク
Ṭughril Bek
生没年:990-1063
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トゥグリル・ベク
とぅぐりるべく
ughril Bek
(990―1063)
セルジューク朝の初代スルタン。トゥグリルとは、トルコ語で「鷹(たか)」の意味である。一族の始祖セルジュークの孫にあたる。兄弟のチャグリー・ベク、叔父のムーサー・ヤブグとともにトゥルクメン集団を率い、1035年にアムダリヤを越えて西方に進出、38年にネイシャーブールに入って王朝を開き、40年にはダンダーンカーンの戦いでガズナ朝軍を破った。以後東方の支配をチャグリー・ベクに任せ、54年にはアゼルバイジャン、アッラーンを平定、55年にはバグダードに入って、カリフから史上初めて公式にスルタンの称号を受け、イスラム世界の支配者として公認された。58年にはイブラーヒーム・イナールの反乱を鎮圧して王朝の基礎を確立した。早くからペルシア人官僚を重用し、セルジューク朝文化のペルシア化の原因をつくった。63年にはカリフの娘と結婚したが、その直後、ライの近郊で病没した。
[清水宏祐]
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「トゥグリルベク」の意味・わかりやすい解説
トゥグリル・ベク
トルコ系セルジューク朝初代のスルタン(在位1038年―1063年)。始祖セルジュークの孫。1038年ニーシャーブール(現イラン北東部)に入って王朝を開き,1040年ガズナ朝の軍を大敗させ,アフガニスタンに駆逐して国の基礎を確立した。1055年バグダッドに入り,アッバース朝カリフの支持者となり,東方イスラム世界の支配者として公認された。
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トゥグリル=ベク
Tughril Beg
993ごろ〜1063
セルジューク朝の創始者(在位1038〜63)
セルジュークの孫。1038年ガズナ朝からニシャプールを奪い,ホラサーン全土を支配下に置いた。1055年アッバース朝の招きに応じてバグダードにはいり,1058年スルタンの称号を得てイスラーム世界の世俗的代表者となった。
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世界大百科事典(旧版)内のトゥグリルベクの言及
【セルジューク朝】より
…その子イスラーイールIsrā‘īl(?‐1032)は,サーマーン朝,次いでカラ・ハーン朝,ガズナ朝と同盟して力を伸ばした。その甥の[トゥグリル・ベク],チャグリー・ベクChaghrī Bek(987‐1060)らは,1038年ニーシャープールに無血入城し,40年にはダンダーナカーンDandānqānの戦でガズナ朝軍を破り,ホラーサーンの支配権を手中に入れた。55年にトゥグリル・ベクはバグダードに入り,アッバース朝カリフより史上初めてスルタンの称号を公式に受け,東方イスラム世界における支配者として公認された。…
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