デジタル大辞泉
「ネイシャーブール」の意味・読み・例文・類語
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ネイシャーブール
Neyshābūr
もとニーシャープール Nīshāpūrと呼ばれた。イラン北東部,ホラーサーン州の都市。メシェドの西南西約 60km,標高 1213m,広大で肥沃な平原に位置する。周辺の穀物,綿花を集散し,絨毯,陶器の製造が行われる。テヘラン-メシェド間の鉄道,幹線道路が通っている。町はササン朝のシャープール1世 (在位 241~272) が創設したと伝えられ,9~10世紀のターヒル朝からサーマン朝にかけて最も繁栄。 1037年にはセルジューク朝の宮廷がおかれた。 12世紀後半以後は地震とモンゴル軍のため徹底的に破壊された。市の東方のガダムガル陵発掘の結果,セルジューク朝とそれ以前の美術,建築の遺品が出土した。南東に 12世紀の天文学者で詩人のオマル・ハイヤームの墓がある。北西約 50kmのマダンにはトルコ石の鉱山がある。人口 13万 5681 (1991) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ネイシャーブール
ねいしゃーぶーる
Neyshābūr
イラン北東部、ホラサーン州の都市。マシュハドの西137キロメートル、ビナールード山脈の南麓(なんろく)、標高1193メートルに位置する。人口15万8847(1996)、26万4375(2016センサス)。3世紀中ごろにササン朝のシャープール1世が建設、5世紀にはホラサーンの州都となり、11世紀にはセルジューク朝下でニザーミーヤ学院がつくられるなど、東イランの学問、政治、文化、宗教の中心地として栄えた。1208年に大地震に襲われ、1221年にはモンゴル軍に完全に破壊され、その後は往時の繁栄を回復できなかった。有名な詩人ウマル・アル・ハイヤーミーとアッタールの生地で、墓は郊外にある。トルコ石の産地として有名。
[岡﨑正孝]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のネイシャーブールの言及
【ニーシャープール】より
…イラン北東部,ホラーサーン州の都市。ペルシア語でネイシャーブールNeyshābūr。人口5万9101(1976)。…
※「ネイシャーブール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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