改訂新版 世界大百科事典 「トカチョーフ」の意味・わかりやすい解説
トカチョーフ
Pyotr Nikitich Tkachyov
生没年:1844-86
ロシアの革命理論家。プスコフ県の小貴族の家庭に生まれる。1861年ペテルブルグ大学法学部入学,同年大学紛争で逮捕。12月釈放,62年再逮捕,63年釈放。65年,ブラゴスベトロフにより《ロシアの言葉》誌に招かれ,経済・歴史問題を担当。66年から《ジェーロ(事業)》誌に寄稿。69年,ネチャーエフ事件に連座し,檄文〈社会へ〉執筆のかどで逮捕。71年裁判で有罪,73年刑期を終え故郷プスコフ県で自宅監視。73年末に亡命,チューリヒのラブロフのもとに行く。74年4月,冊子《ロシアにおける革命宣伝の課題》を発表し,ラブロフと決別,ロシア・ジャコバン主義の理論的指導者となる。74-75年,エンゲルスはトカチョーフ批判を展開,ロシア革命の独自の道(共同体的社会主義)をめぐる論争へと発展した。トカチョーフは75年より機関誌《ナバート(警鐘)》をジュネーブで発行(1881年まで存続),中央集権的な革命家の党による帝政打倒と社会主義樹立を主張し,ナロードニキのジャコバン派の理論を展開した。しかし,〈人民の意志〉党は彼の理論に近い綱領のもとに活動したにもかかわらず,継承関係を公式には認めず,トカチョーフは孤独のうちに82年発狂し,86年パリの精神病院で死亡した。
執筆者:佐々木 照央
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報