トンマゼーオ(読み)とんまぜーお(英語表記)Niccolò Tommaseo

改訂新版 世界大百科事典 「トンマゼーオ」の意味・わかりやすい解説

トンマゼーオ
Niccolò Tommaseo
生没年:1802-74

イタリアの作家。ダルマツィア出身。詩,小説,評論,翻訳,辞書編纂など多岐にわたる文筆活動を続けながら,リソルジメント時代の愛国者として波乱に富んだ一生を送った。パドバ大学を卒業後,マンゾーニ知遇を得,生涯変わらぬ敬愛の念を抱く。雑誌《アントロジーア》に載せた反オーストリア的記事が当局の忌諱に触れ,1834-39年フランスに亡命する。帰国後ベネチアに居を定め,48年同地の共和国政府に参加するが,翌年共和国が崩壊,コルフ島で再度の亡命生活を送る。54年帰国,晩年はほとんど全盲の状態で執筆を続け,フィレンツェで没した。数多くの詩作,小説《信仰と美》(1840)などには彼のキリスト教信仰とともにロマン主義精神がうかがえるが,一方その犀利な批評眼に支えられた広範な学識は,ダンテの《神曲》注釈や《新類義語辞典》(1830),大部な《イタリア語辞典》(共著,1858-79)のうちに結実した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トンマゼーオ」の意味・わかりやすい解説

トンマゼーオ
とんまぜーお
Niccolò Tommaseo
(1802―1874)

イタリアの文学者。ミラノでマンゾーニと知り合い、古典主義とロマン主義をめぐる論争に加わる。その後、雑誌に反オーストリアの記事を発表したため、弾圧を受けてパリへ逃れ、自由主義的カトリックの立場から『イタリアについて』(1834)を刊行。さらに、女性をめぐって道徳官能の間で揺れ動く心を描き、デカダンス文学の先駆といわれた長編小説『信仰と美』(1840)を発表。この間にコルシカで民謡採録にあたり、『トスカナ、コルシカ、イリリア、ギリシアの民謡』(1841~42)を編む。帰国後はほとんど失明に近い状態であったが、『イタリア語辞典』(1858~79)を編纂(へんさん)し、『詩集』(1872)を刊行した。

[川名公平]

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