日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドミニカ内戦」の意味・わかりやすい解説
ドミニカ内戦
どみにかないせん
1965年カリブ海のドミニカ共和国で起きた内戦。同国では、61年、独裁支配を行っていたトルヒーヨが暗殺され、翌年末に行われた自由な選挙ではフアン・ボッシュが大統領に当選した。彼は63年に「ボッシュ憲法」とよばれる民主主義的な憲法を制定したほか、キューバと国交を回復するなど自主的外交政策をとった。しかし63年9月、親米派軍人のクーデターによって追放され、レイド・カブラルに率いられる軍事評議会が政権を握った。これに対し65年4月24日、ボッシュ大統領の復帰を要求してカーマニョ大佐に率いられる軍人が反乱を起こし、軍事評議会を追放した。軍事評議会派の軍人もこれに対抗して蜂起(ほうき)したが、ほぼ4日間の戦闘で敗走させられた。そのときアメリカのジョンソン大統領は海兵隊の派遣を決定し、総計1万数千人の海兵隊を送り込んだ(4月28日)。同時に米州機構(OAS)にも派兵を要請し、ブラジルを中心とする米州平和維持軍がドミニカに上陸した(5月24日)。これによって形勢は一挙に逆転し、カーマニョ派は守勢にたたされ、米州機構の仲介で停戦が決定した(8月31日)。その後カーマニョは大使として外国に退けられるなどアメリカのペースで政治が進められ、翌年6月の大統領選挙では親米派のバラゲールが当選した。トルヒーヨ暗殺は、ケネディ大統領の「進歩のための同盟」政策に基づき、民主主義体制の導入によってキューバ革命の影響を阻止し革命を予防するためにアメリカが行ったものとされているが、その後内戦から海兵隊派遣へと事態が展開したことはその政策の矛盾を示すものとなった。
[後藤政子]
『後藤政子著『新現代のラテンアメリカ』(1993・時事通信社)』