ド・ラバル
Carl Gustav Patrik de Laval
生没年:1845-1913
スウェーデンの技術者。ウプサラ大学で学んだ後,クロスター=ブルックの鉄鋼所で冶金技術を研究,電気溶鉱炉,鉄や亜鉛の精錬装置などを発明,多くの特許を得,またこのほかに酪農用機械や高圧ボイラーなども設計製作した。1878年遠心クリーム分離機を発明し,その原動機としてタービンを研究,83年に単式衝動タービンを完成した。これは,円周上に多数の羽根をつけた車に蒸気を噴射させ,羽根車を高速回転させるものであったが,以後,回転軸受,材料,臨界速度問題に取り組み,89年には蒸気噴射孔断面積を変化させた独得の噴射ノズル(ラバル管,ラバルノズル)を完成し,回転羽根車への超音速ガス噴射を可能にした。また高速はすば歯車を製作し,蒸気タービンを低速回転のポンプ,発電機,舶用機関へ利用する途を開いた。
執筆者:木本 忠昭
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ド・ラバル
どらばる
Carl Gustaf Patrik de Laval
(1845―1913)
スウェーデンの機械技術者。ストックホルム工科大学、ウプサラ大学に学び、1878年牛乳用の高速クリーム遠心分離機を発明、続いて真空搾乳機(1913)など各種酪農用機械を発明した。彼の最大の業績は蒸気タービンの発明である。前述の高速クリーム分離機に必要な高速度の出せる原動機の入手が動機で研究に着手し、1883年に単列衝動タービンを開発、分離機の駆動に使用、その後も改良を加え、蒸気のどのような圧力差をも運動エネルギーに変換できる膨張式ノズルを発明、1889年にイギリスの特許を得た。そのほか高速回転のための球軸受、等抵抗羽根車の計算など蒸気タービン発達の道を開いた。
[山崎俊雄]
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ド・ラバル
スウェーデンの機械技術者。ウプサラ大学卒。自分が発明した遠心クリーム分離機の駆動のために蒸気タービンを研究,単式衝動タービンを発明し,1883年特許を得た。以後も羽根材料,軸受などの問題を解決,蒸気タービン実用への道を開いた。
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ド‐ラバル
生年月日:1845年5月9日
スウェーデンの技師
1913年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のドラバルの言及
【蒸気タービン】より
…これに対して,蒸気タービンの実用化には,大きい遠心力に耐え複雑な形状をした羽根,あるいは高速回転体のつり合いや軸受などに関して材料の進歩と加工技術の発達を待たねばならなかった。 蒸気タービン実用化の道が開かれたのは19世紀の終りになってからであり,スウェーデンのド・ラバルCarl G.P.de Laval(1845‐1913)による単段の衝動タービンの製作(1883),イギリスのパーソンズCharles A.Parsons(1854‐1931)による多段の反動タービンの製作(1884)に始まる。とくに後者は,本質的な形式の変化もなく今日の大出力機に受け継がれている。…
【蒸気タービン】より
…これに対して,蒸気タービンの実用化には,大きい遠心力に耐え複雑な形状をした羽根,あるいは高速回転体のつり合いや軸受などに関して材料の進歩と加工技術の発達を待たねばならなかった。 蒸気タービン実用化の道が開かれたのは19世紀の終りになってからであり,スウェーデンのド・ラバルCarl G.P.de Laval(1845‐1913)による単段の衝動タービンの製作(1883),イギリスのパーソンズCharles A.Parsons(1854‐1931)による多段の反動タービンの製作(1884)に始まる。とくに後者は,本質的な形式の変化もなく今日の大出力機に受け継がれている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」