ドンズー運動(読み)ドンズーうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「ドンズー運動」の意味・わかりやすい解説

ドンズー運動 (ドンズーうんどう)

20世紀初め,ベトナム人青少年日本に遊学させようという運動。漢字では〈東遊運動〉と書く。ベトナムは19世紀後半以降,フランスの植民地と化したが,抗仏闘争は続けられた。日露戦争契機としてアジア各地の民族運動が高揚したが,ベトナムでは祖国回復の新党維新会ができ,日本政府に武器援助を求めて,1905年に同党のファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)らが来日。横浜に亡命中のリャン・チー・チャウ(梁啓超)を通して犬養毅らと接触したが,武器援助は不可能とわかった。そこでリャンの助言もあって,ファンは独立運動のために近代の学問技術を学ぶべく,ベトナム国内の青少年が日本に留学することを呼びかけた。この運動はベトナム各地にひろがり,06-08年にベトナム人が清国留学生を詐称して来日,東京同文書院,成城学校などに入学した。そのほとんどは軍事学の習得を目ざし,祖国での反仏闘争を鼓舞した。フランス政府は彼らの出身地や一族を取り締まるとともに,日仏協約(1907)をたてに,在日ベトナム人の国外追放を日本政府に強請した。09年前後に在日ベトナム人はほとんど日本を去って,祖国,中国タイ香港などに散り,この運動は終わった。しかし日本在留中の中国や朝鮮その他アジアの在日留学生との交流経験は,日本脱出後の彼らの独立運動に役立った。なお200人以上といわれる彼らの日本における行動は,つまびらかではない。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドンズー運動」の解説

ドンズー運動(ドンズーうんどう)
Phong trao Dong Du

ベトナムのファン・ボイ・チャウが提唱した,独立運動の人材養成を目的とした青年の日本への留学運動。日露戦争後の1905年に始まり,最盛時には200名余の青年が来日。07年の日仏協約締結後は日本政府の弾圧を受け,09年には終焉

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