改訂新版 世界大百科事典 「ナバテア王国」の意味・わかりやすい解説
ナバテア王国 (ナバテアおうこく)
前2世紀前半にペトラを首都として,現在のヨルダン西部に成立したナバテアNabatea人(ギリシア語でナバタイオイNabataioi,アラム語でナバトゥNabatu)の王国。前63年にはローマに臣従したが独立を保ち,後106年ラベル2世Rabel Ⅱの治世を最後にローマに征服され属州アラビア州に併合された。ナバテア人は北アラビア起源の遊牧アラブ人の一派であったが,王国形成にあたっては,アラム文明(文字,隊商組織)とギリシア系文明(都市生活,ギリシア語)を採用した。王国の領土は最初ペトラとその周辺に限られていたが,前1世紀に入ると隊商路沿いに膨張政策をとり,紀元1年ころにはアレタス4世Aretas Ⅳの下に,ダマスクスからヒジャーズ地方までの砂漠周辺部とネゲブ地方を領有し,メソポタミアと南アラビアから地中海にいたる隊商路を掌握した。ナバテア人の社会は長老たちの率いる部族社会であり,遊牧しつつ隊商貿易に従事していたが,王国成立後は世襲の王をいただいた。しかし王権は限定され,商業貴族の勢力が強かった。ダマスクスなどペトラ以外の各都市には王の代官が駐在し,隊商路は騎兵部隊によって確保されたようである。主要な経済的基盤は香料を中心とした貿易と関税であり,ナバテア商人はエーゲ海域やイタリア半島,ペルシア湾岸などに拠点をもった。外国の商人たちもペトラに滞在し,そこで活発な商取引があったことは,国際司法裁判所のような機関が存在したことで知られる。市民たちの大部分は隊商活動に従事したとみられるが,その他の産業としては,果樹栽培(ブドウ,イチジク),馬の飼育,独特なタイプの土器製造などがあった。ナバテア人の宗教は古代アラブ人の宗教を基盤にもち,主神はギリシアのディオニュソスに相当するドゥサレスと,アフロディテに相当するアッラートであり,ともにオアシスの豊穣をつかさどった。ナバテア人はまた原始的な石柱崇拝や山頂での祭祀を行った。彼らの宗教美術は多様で,異民族の影響が濃厚である。
執筆者:池田 裕+小川 英雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報