中東一帯を中心として、北アフリカからパキスタンに及ぶ広い地域で、アラビア語その他の言語の表記に使われている文字。別系統の南アラビア文字とはっきり区別するために、北アラビア文字ということもある。
[柘植洋一]
アルファベットで、字母数は子音を表す28文字であり、長母音はそのうちのalif, yā', wāwを用いて書かれる。短母音を表す文字はなく、必要な場合は補助記号で示すが、これは読み間違いの許されない聖典コーランや、初学者向けの読み物に限られる。書く方向は右から左で、ほぼ単語を単位に、分かち書きされる。そのなかで各文字は続け書きされるが、語頭、中、末といった位置により、同じ文字でも多少字形を変える。句読点は、現在ではほぼヨーロッパ語の場合と同様だが、書写方向の関係で疑問符などは向きが逆になる。なお、大文字、小文字の区別はない。
[柘植洋一]
アラム系のナバタイ文字に由来し、紀元後数世紀の間に、アラビア半島北部でつくられた。ナバタイ文字22文字に、アラビア語固有の音, , , , , を表すための6文字が追加され、続け書きもいっそう推進された。最古の資料は4世紀初頭の刻文を除けば、シリアのザバドで発見されたキリスト教徒碑文(512)である。まとまったものはイスラム以後で、現在に至る豊富な資料を残す。短母音記号はシリア語の方式に倣って7、8世紀ごろに考案された。
[柘植洋一]
イスラムの勃興(ぼっこう)に伴い、コーランの言語、文字であるアラビア語、アラビア文字は、イベリア半島、アフリカ、アジアに広がった。その結果、各地の言語がアラビア文字を用い、それに適宜改変を加えて書かれるようになった。アフリカのスワヒリ語、ハウサ語、ベルベル語など、アジアのトルコ語、マレー語、ウルドゥー語、パシュトー語、ペルシア語などがそうである。ただし現在では、上記言語中、スワヒリ語、ハウサ語、トルコ語、マレー語は、ローマ字にかわっている。
[柘植洋一]
最初期の書体は角張ったクーフィー体で、丸味を帯びたナスヒー体がこれに続く。のちにはナスヒー体が優勢となり、クーフィー体はおもに装飾用となった。北アフリカではこれらの中間的な書体ともいえるマグリビー体が生まれた。東イスラム世界ではナスヒー体から、ルクア体(現在普通の手書き体で、トルコで発達)やナスタリーク体(ペルシア語などに用いられる)などいくつかの書体が発達した。美しい書は敬愛の対象となり、また偶像排斥の教えとも相まって、建築物の装飾にも多用され美を競っている。
[柘植洋一]
本来はアラビア語を表記するための文字であるが,コーランと共にイスラム世界に広がり,現在ペルシア語,ウルドゥー語,ベルベル諸語等の表記にも用いられ,かつてはマレー語,ソマリ語,ハウサ語,スワヒリ語,および1928年の文字改革以前のトルコ語もこれで書かれていた。
前1世紀以後ナバテア王国のアラビア人が公用語たるアラム語を書くのに用いていた北西セム文字(ラテン文字の祖型であるいわゆる〈フェニキア文字〉)から変化したアラム文字を,アラビア語にも適用し,その際,1語の中では字母どうしを続けて書くようになった。それに伴い,同形になった字母(例えばb,n,y)を区別し,さらにはアラム語にないアラビア語の子音,例えばḍ,ẓ,ḫ(本事典におけるラテン文字転写kh),ġ(同,gh)を表す必要上,おそらくシリア文字の例にならって字母の上または下に点を付けて識別するようになり,現在のアラビア文字ではこの識別符号も字母の一部とみなされる。こうして,1字が1子音を表し,長母音はアリフ,w,yによって表すが短母音は表さない点,また右から左に書かれる点は,他の北西セム文字と同じであるが,1語が続けて書かれる点は,同じくアラム文字から発達したシリア文字にのみ共通の特徴である。続けて書くために各字母に三つの異字体があるけれども基本的には一つの字体で,語頭では左,語中では左右,語末では右に手を出し,語末ではさらに左または下に尾を延ばしているだけのことである。ただしアリフ,d,ḏ(dh),r,z,wは左には続かない。短母音,二重子音等を表記するため字母の上または下に付ける補助記号は,コーランの読みを明確に保つために考案されたのであって,現代の一般の文書には用いないのが普通である。したがって,例えばktbがkataba〈彼は書いた〉,kutiba〈それは書かれた〉,kutub〈書物(複数)〉のいずれと読まれるかは,文脈で判断するほかはない。他の言語を表記する際,アラビア語にない音(例えばp,v)を表すには,それに近い音を表す字母(この場合b,f)に識別のための点または線を加えたものを用いる。短母音が表記できず,筆記体しかない点など,ラテン文字に比べて種々不便はあるのだが,天啓の書コーランへの冒瀆を犯すという伝統的な意識が文字改革を強くはばんでいる。もっともアラビア語に用いられる限り言語の性格に即した文字体系なのであって,当事者にとってはそれほど不便ではない。最古の書体は,角形で金石文や初期のコーラン写本に見られるクーフィー体(イラクの都市名クーファにちなむ)と,流線状で筆記に適したナスヒー体(ナスフnaskhは〈筆写〉の意)で,前者は初期にはまだ子音識別符号をもたず,コーランの解釈上問題を提起した。後者は10~11世紀ころからコーラン写本にも現れ始め,現在の書体はこれに基づく。漢字やラテン文字の場合と同じく,芸術的見地からさまざまの書体がつくられている。
→アラビア語 →アルファベット →書
執筆者:松田 伊作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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もとアラブ人の書写文字であったが,現在ではトルコとインドネシアを除く,イスラーム圏の共通文字。右から左へ横書きし,もとは28個の子音文字からなっていたが,各国語の必要に応じていくつかの新文字が追加使用されている。ナバタイ文字に手を加えて,6世紀の初めに出現し,クーフィー,ナスヒー,ナスターリーク,ターリークなどの書体がある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…北アラビア語は,他のセム諸語にくらべると紀元前の古い資料を欠くが,ペトラを首都として現在のシリア南部からヨルダンおよびサウジアラビア北部に勢力を振るったナバテア王国の遺跡から出た前1世紀ころ以後のアラム語の碑文には,書き手の母語であるアラビア語の影響が年を追って著しく,南シリアのナマーラ出土の後328年の碑文はほとんどアラビア語である。一方アラビア半島中北部出土の,南アラビア文字で刻まれた前5~後4世紀の碑文の言語は,しばしば原アラビア語と称せられるが,北アラビア語に属するかどうか疑われている。後5世紀のアラビア砂漠の遊牧民の間では,既に高度に洗練された詩的共通語が行われており,これが古典アラビア語の基盤となった。…
… 次に,イスラム世界において,アラビア語は神の言葉と考えられてきた。それは,神の啓示がアラビア語で下され,アラビア文字で綴られてコーランとなったからである。したがって,アラビア文字は,イスラム美術において,いわゆる宗教図像に代わる重要な役割を果たしていることになる。…
…アラビア語は単なる人と人との実用的な伝達手段であるばかりでなく,神と人との間のコミュニケーションの手段でもあった。つまりアラビア語とアラビア文字がもつ特殊な性格は,神の啓示がアラビア語で下され,しかも,それがアラビア文字でつづられたことから生まれたものである。したがって,アラビア語で書かれたコーランの他の言語への翻訳は,注解を別として公式には許されていない。…
※「アラビア文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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