ナンダ朝 (ナンダちょう)
Nanda
古代インドの王朝。シャイシュナーガ朝のあとを受け,前4世紀にマガダ国を支配した。創始者はマハーパドマMahāpadma。ギリシアの古文献は,アレクサンドロスの西北インド侵入当時,ガンガー(ガンジス)川の流域に卑賤な生れのアグランメスAgrammes王の統治する強大な国があったことを伝えているが,これはナンダ朝支配下のマガダ国のことである。インド側の文献もナンダ朝をシュードラの血を引く王朝として伝えており,そのうちの一つプラーナ文献は,この王朝がすべてのクシャトリヤを根絶したと嘆いている。ナンダ朝は,家系に対するこのような非難にもかかわらず,莫大な富と軍事力をもってガンガー川流域に巨大な専制王国を建設し,マウリヤ朝による統一帝国建設への道を開いた。ナンダ朝の王統とその存続期間については文献間に差が大きく,確かなことは知り得ないが,2世代30年前後かと思われる。王朝は前317年ころ,マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタによって滅ぼされた。
執筆者:山崎 元一
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ナンダ朝
なんだちょう
Nanda
古代インドの王朝。初代マハーパドマは、紀元前4世紀初めごろ、シシュナーガ朝にかわってマガダ国の王権を握り、「すべてのクシャトリヤを倒した者」と記されたように、マガダの統一国家建設の事業を推進して、北インドでもっとも強大な勢力となった。前327年アレクサンドロス大王がインドに侵入したとき、この王朝はガンジス流域に君臨して富強を誇り、その兵力は歩兵20万、騎兵20000、戦車2000、象3000であったと記されている。だが、この王朝は短命に終わり、前317年ごろマウリヤ朝チャンドラグプタによって滅ぼされた。
[山崎利男]
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ナンダ朝
ナンダちょう
Nanda
前4世紀ごろから前320年ごろまでマガダ王国に君臨した王朝
マハーパドマ(あるいはウグラセーナ)の創建といわれ,アレクサンドロス大王のインド侵攻のころには,歩兵20万・戦車2000・象軍3000を有したという。前320年ごろ,マウリヤ朝のチャンドラグプタに滅ぼされた。
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世界大百科事典(旧版)内のナンダ朝の言及
【カリンガ】より
…前1世紀にはカーラベーラ王Khāravelaが現れ,南方を征略したあと,ガンジス流域に進出して大勢力となった。王はジャイナ教を信奉して,ナンダ朝が持ち去った聖物を取り返したといい,また領内には貯水池をつくるなど公共事業をおこなった。その後この地方には小王朝がつぎつぎに盛衰し,ベンガルの王朝の侵入を受けたこともあったが,独自の文化を発達させ,ヒンドゥー教ばかりでなく,ジャイナ教も長く拠点をもった。…
※「ナンダ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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