メッシナ(英語表記)Messina

デジタル大辞泉 「メッシナ」の意味・読み・例文・類語

メッシナ(Messina)

メッシーナ

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精選版 日本国語大辞典 「メッシナ」の意味・読み・例文・類語

メッシナ

  1. ( Messina ) イタリアシチリア島の北東岸、メッシナ海峡に面する港湾都市。紀元前八世紀ギリシア植民都市として建設されたのが起源。イタリア本土との間に連絡船が通う交通要地にあり、ブドウオリーブなどの集散地

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改訂新版 世界大百科事典 「メッシナ」の意味・わかりやすい解説

メッシナ
Messina

イタリア南部,シチリアにある同名県の県都。人口24万6323(2005)。メッシナ海峡に面した港湾都市で,本土のレッジョ・ディ・カラブリアとを結ぶ連絡船が定期運航している。オリーブ,かんきつ類などの農産物の集散地で,食品工業も盛ん。

 紀元前8世紀にギリシアの植民市として建設され,鎌の形をした地形からザンクレZanklēと呼ばれた。前5世紀対岸のレギオンの僭主アナクシラスが支配し,ギリシアの故郷の名にちなんでメッサナMessanaと名付けた。シラクサ,アテナイとの戦いを経て,カルタゴによって前396年に破壊されたが,シラクサの僭主ディオニュシオス1世の手で再建された。のちアガトクレスの支配するところとなったが,彼の死後,その傭兵団マメルティニが実権を握り,カルタゴの攻撃を受けるやローマに救いを求め,第1次ポエニ戦争(前264)の発端となった。メッシナはローマの同盟市となった。6世紀にはビザンティン帝国の支配下に入ったが,独自の行政官をもつ比較的自由な都市であった。843年イスラム教徒に征服され,1061年からのノルマン治下では,商業も文化もともに栄え,バシレイオス派修道院サン・サルバトーレ・ディ・グレチは学問の中心地でもあった。1282年の〈シチリアの晩鐘〉の乱では,市を包囲したアンジュー軍に対して女性を含む全市民が戦い,同軍を撃退した。スペイン治下の1674年,フランスのルイ14世の介入をあてにして反乱を起こしたが失敗に終わった。ブルボン朝の治下でも,何度か反乱を試みたが失敗に終わり,1860年7月千人隊を率いるガリバルディ将軍の到着により解放され,サルデーニャ王国に統合された。1908年の大地震では6万人の死者および建物の90%が破壊された。地震対策を考慮した新都市が建設されたが,第2次世界大戦で爆撃により大きな損害を被った。
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百科事典マイペディア 「メッシナ」の意味・わかりやすい解説

メッシナ

イタリア南部,シチリア島北東端のメッシナ海峡に臨む港湾都市。本土のレッジョ・ディ・カラブリアとの間に連絡船が運航。オリーブ,ブドウ酒を輸出し,絹織物,食品加工,セメントなどの工業が行われる。12世紀の聖堂,教会,大学(1548年創立),海洋生物研究所がある。起源はギリシアの植民市でザンクレと呼ばれ,イスラムやノルマンの支配下でも栄えた。1282年から1860年まで主にスペインの支配下にあった。1908年の大地震で市街の大半が破壊され,さらに第2次大戦で爆撃をうけたにもかかわらず,歴史的建造物がかなり残っている。24万3262人(2011)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メッシナ」の意味・わかりやすい解説

メッシナ
Messina

イタリア南西部,シチリア島の北東端にある港湾都市。シチリア州メッシナ県の県都。海上交通の要地で,前8世紀にギリシア人により建設された。前 397年カルタゴ人により破壊され,831年頃にはサラセン人,1061年にはノルマン人など,多くの侵略を受けた。また,1908年の震災では市街の 90%が破壊されたが復興した。本土と結ぶフェリーの基地で,港を中心に食品,醸造,セメント,化学などの工業が盛ん。港から果実,ワイン,硫黄,絹を輸出。人口 24万2503(2011推計) 。

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