イタリア南部,シチリアにある同名県の県都。人口24万6323(2005)。メッシナ海峡に面した港湾都市で,本土のレッジョ・ディ・カラブリアとを結ぶ連絡船が定期運航している。オリーブ,かんきつ類などの農産物の集散地で,食品工業も盛ん。
紀元前8世紀にギリシアの植民市として建設され,鎌の形をした地形からザンクレZanklēと呼ばれた。前5世紀対岸のレギオンの僭主アナクシラスが支配し,ギリシアの故郷の名にちなんでメッサナMessanaと名付けた。シラクサ,アテナイとの戦いを経て,カルタゴによって前396年に破壊されたが,シラクサの僭主ディオニュシオス1世の手で再建された。のちアガトクレスの支配するところとなったが,彼の死後,その傭兵団マメルティニが実権を握り,カルタゴの攻撃を受けるやローマに救いを求め,第1次ポエニ戦争(前264)の発端となった。メッシナはローマの同盟市となった。6世紀にはビザンティン帝国の支配下に入ったが,独自の行政官をもつ比較的自由な都市であった。843年イスラム教徒に征服され,1061年からのノルマン治下では,商業も文化もともに栄え,バシレイオス派修道院サン・サルバトーレ・ディ・グレチは学問の中心地でもあった。1282年の〈シチリアの晩鐘〉の乱では,市を包囲したアンジュー軍に対して女性を含む全市民が戦い,同軍を撃退した。スペイン治下の1674年,フランスのルイ14世の介入をあてにして反乱を起こしたが失敗に終わった。ブルボン朝の治下でも,何度か反乱を試みたが失敗に終わり,1860年7月千人隊を率いるガリバルディ将軍の到着により解放され,サルデーニャ王国に統合された。1908年の大地震では6万人の死者および建物の90%が破壊された。地震対策を考慮した新都市が建設されたが,第2次世界大戦で爆撃により大きな損害を被った。
執筆者:望月 一史
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