オランダ中部,ヘルデルラント州の都市。正しくはネイメーヘンと読む。人口15万8215(2005)。ワールWaal川(ライン川下流)に臨み,19世紀末から工業が発達し,行政,商業,文化,教育の地方的中心地。ワール川によりロッテルダムとドイツのルール地域と,ワール・マース運河によりマース川流域工業地帯と結ばれ,また鉄道も発達し,水陸交通の要衝で,エレクトロニクス,衣服,食品,皮革,製紙などの工業がある。ローマ時代の城塞に隣接して発達し,5世紀には衰微したが,カール大帝の宮廷が置かれ,しだいに商業交易の中心として栄え,1230年都市特許状を得た。市域はワール川左岸に半月形に広がっていたが,1874年市壁を取り壊して拡大された。城塞跡にカール大帝のファルクホフ礼拝堂,市の中心の大広場を囲んでシント・ステフェン教会(後期ゴシック様式),市立博物館,秤量所,市庁舎(16世紀)がある。第2次世界大戦末期,ワール川をはさんで占領ドイツ軍と連合軍の激戦が行われ,市街も歴史的建築も大被害を受けたが完全に復元された。1923年創設のカトリック総合大学(学生数約1万5000)がある。
執筆者:栗原 福也
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オランダ東部、ヘルデルラント州南部の都市。古代にはノビオマグスNoviomagusとよばれ、ドイツ語名はニムウェーゲンNimwegen。人口15万3705(2001)。ドイツ国境に近いワール川左岸に位置し、水運をはじめとする交通の要地。電気機械、繊維、陶器などの工業が発達する。ケルト人集落に起源を有し、ローマ時代にはトラヤヌス帝の軍営地、カロリング朝ではカール大帝の王宮となって繁栄した歴史的な都市。1184年帝国自由都市となり、のちハンザ同盟に、またオランダ独立時はユトレヒト同盟に加盟、1678~79年にはオランダ戦争後の和約締結地となった。市街はワール川の河畔から背後の丘陵にかけて広がり、19世紀後半に撤去された市壁跡が遊歩道や公園になっていて魅力ある田園都市を形成する。カール大帝の宮殿跡のファルクホフ公園のほか、13~15世紀の聖ステフェンス教会、ルネサンス風の市庁舎、カトリック大学がある。
[長谷川孝治]
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