ハバナ宣言(読み)ハバナせんげん(英語表記)Declaración de la Habana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハバナ宣言」の意味・わかりやすい解説

ハバナ宣言
ハバナせんげん
Declaración de la Habana

(1) 1940年7月ハバナにおける第2回米州外相会議で採択された決議。おもな内容は,カリブ海諸国の領土主権に重大な危険が生じた場合は,これをアメリカ合衆国の行政下におくこと,米州の一国の領土主権あるいは政治的独立の保全に反する非米州国のいかなる企ても侵略行為とみなし,共同防衛協定すること,さらに,侵略が行われた場合,米州諸国は相互に防衛および援助を行うために協定を行うことなどである。 41年 12月の日米開戦以後,ラテンアメリカ諸国はこの宣言に従って日独伊3国と外交関係の断絶あるいは宣戦布告を行なった。 (2) キューバの行なった宣言で,ハバナ・アピールとも呼ばれ,第1と第2がある。第1ハバナ宣言は 60年8月コスタリカの首都サンホセで開催された米州機構 OAS外相会議が,中ソ両国のキューバ支援を内政干渉だと非難したサンホセ宣言を採択したことにより,同年9月2日に発表された。そのなかでキューバは米州における自由の地であると表明し,また中国との外交関係樹立を呼びかけている。第2ハバナ宣言は 62年2月に採択された。この年の1月ウルグアイのプンタデルエステで開かれた OAS外相会議が,ブラジルなど6ヵ国の反対を押切ってキューバ非難,除名を決議。キューバは2月の第2回全国人民大会でこの決議に対し,革命正当性を主張し,社会主義的改革の遂行,ラテンアメリカにおける合衆国の干渉政策を非難した宣言を採択した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハバナ宣言」の意味・わかりやすい解説

ハバナ宣言
はばなせんげん
Declaración de la Habana

キューバの革命政権がその初期に発した宣言で、ハバナ宣言と第二ハバナ宣言からなる。ハバナ宣言が発せられたのは1960年9月で、当時、キューバとアメリカとの関係は悪化の一路をたどっており、一方でキューバは当時のソ連や中国との結び付きを強めつつあった。このような情勢のもとで、米州諸国外相会議が、中ソ両国のキューバ支援をアメリカ州に対する干渉だと非難したサン・ホセ宣言を採択したのに対抗して出されたのがハバナ宣言である。同宣言はアメリカ帝国主義への反対、すべての社会主義国との関係の樹立、世界の人民との連帯を打ち出した。第二ハバナ宣言は、62年1月に開かれた米州諸国外相会議が米州機構からのキューバの除名を決議したのに対抗して同年2月に出されたもので、アメリカ帝国主義とラテンアメリカにおけるその同盟者たちを激しく非難し、ラテンアメリカにおける武力革命の必要性を提唱した。

[加茂雄三]

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