旧中国の学問分類における一派。戦国末から漢代に《黄帝経(こうていけい)》と《老子》をともに重んずる黄老(こうろう)思想が盛行し,ここに道家的諸傾向を〈道家〉として概括する学問的整理が生まれた(漢初)。世界の根源的実体たる道を立てるので道家と呼ぶ。この呼称は,司馬談(司馬遷の父)が用い(前2世紀半ば。《史記》太史公自序の六家要指(りくかようしゆ)),《漢書》芸文志(前漢末の劉歆(りゆうきん)の《七略》に基づく)によって公認された。黄帝と老子を開祖と仰ぎ列子や荘子などが継承した学派とされるが,もともと学派としてまとまって存在していたのではない。また彼らは道家の思想家たちが,その思想上の必要から虚構した架空の人物であって,その存在自体が疑わしいといわなければならない。前139年に成った《淮南子(えなんじ)》要略篇に初めて現れる〈老荘〉は,道家の精髄を表すことばとして六朝時代に多用されて定着していったが,荘子を老子と並べて重視する点が特徴である。
道家は,その源が戦国の乱世それ自体,すなわちこの一大社会変革の生み出す政治への不信ないし生の不安にあり,それらを理論的に解決して人々に慰めを与えるものだったので,当時の失意の士大夫の間に多数の支持者を得たのみならず,今日まで同様の時代・類似の境遇の人々に広範に信奉されてきた。その先駆は《論語》にいう逸民であるかもしれぬが,直接には戦国中~後期の(1)個人の生命の充実を重んじた楊朱,子華子,詹何(せんか),(2)寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼(そうけい),尹文(いんぶん),(3)道徳的先入観からの脱却を説いた田駢(でんへん),慎到,(4)総体としての世界の〈実〉に依拠して,あれとこれとの区別である〈名〉(概念,判断)を軽視した恵施(けいし)などであり,その成立と展開は《荘子》《老子》《淮南子》などによって最もよく知りうる。前3世紀初め,自我の撥無(はつむ)によって一の無たる世界に融即せよ,それこそが道をとらえた聖人の主体性だからとする万物斉同の哲学に始まり,そのように世界を統御しつつ同時にそこから超出して自由であれと説く遊(ゆう)の思想に受け継がれ,以後各方面に展開していった。例えば(1)不可知の実体,道の形而上学,混沌からの流出を説く宇宙生成説,陰陽(いんよう)・五行(ごぎよう)説を伴う気の自然哲学,万物を調和ある有機体と見る万物一体説,輪廻・転生の思想,(2)価値判断と事実判断を撥無する知識論,矛盾律を認めない論理思想や弁証法,寓言・重言・巵言(しげん)の表現論,(3)自我の中から感覚・知覚の夾雑物を排除する虚静説,本来的生の実現を唱える全性保真説や養生(ようせい)説,濡弱謙下(じゆじやくけんげ)の処世術,悟性による堕落をつく文明批判と退歩史観,無為自然の支配を説く政治思想など。
これらには総じて戦国期の主観的内面的(荘子的)なものから漢代の客観的外面的(老子的)なものへという展開が認められる。戦国末の思想界に重要な地位を占めて儒家(荀子),法家(韓非子)などと互いに影響し合った道家は,漢初に黄老の政治思想として最も有力で,やがて武帝が儒教を国教化したにもかかわらず,儒教の中に入りこんだり士大夫の私生活面で尊重されたりして存続した。漢代にはその養生説が長生不死を説く神仙説と結合し,後漢末以後,民間宗教に採り入れられて道教の成立と発展(六朝)を促した。一方,士大夫の間では六朝時代に老荘が尊ばれ,仏教の受容に際しても媒介の役割を果たした(老荘思想)。また文学,芸術の中にも浸透し,さらに朱子学,陽明学など後代の思想にも多大な影響を与えた。《漢書》芸文志に37家993篇が著録されているほか,1973年,馬王堆漢墓から未知の道家書が出土し研究が進められている。
→道教
執筆者:池田 知久
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中国古代におこった思想的学派の名称。諸子百家の一派。戦国時代(前5~前3世紀)に成長したあと、儒家と対立して二大思潮を形成した。老子(ろうし)から関尹子(かんいんし)、列子(れっし)と伝えられ、荘子(そうし)が集大成したとされ、それぞれの名のついた書物が伝わっているが、事実はそうした学派的な師承があったかどうか、むしろ疑わしい。散発的に前後しておこった諸思想を、その傾向の類似性に注目して、あとからひとまとめにして名づけた名称とみるべきで、『史記』にみえるのが最初である。
その思想の第一の特色は特殊な「道(どう)」の思想の強調であって、学派の名称の由来もそこにある。その「道」とは、現象を支える根源的な形而上(けいじじょう)的性格を帯びた絶対的実在、ないし理法というべきもので、儒家の思想などでは強調されなかった自然界と人間界とを貫く根源である。それは万物を生み出し、万物の多様な姿を貫いて、それをそうあらしめているが、その作用は自(おの)ずからなもの(無為自然)で、微妙で計りがたい。人間の感覚ではとらえられないところから「無」といい、唯一の根源であるところから「一」ともいわれる。ただ道家の主眼は、こうした「道」の思想を基礎にして、現実の実践的な課題を解くことにあった。それは、差別観や対立抗争が激しく、変動してやまない現実のなかで、それをいかに成功的に生き抜くか、またそれに乱されない安らかさを得るか、という処世的な人生問題である。ここで、人は「道」のあり方を模範とすることになる。ことさらな人間的なしわざを捨てて無為自然になり、絶対の「道」に拠(よ)り従って、へりくだった柔弱な態度で世に処していくのがよい、とされる。現実の差別の姿は、「道」の立場からみれば一時的、相対的なもので頼むに足りず、そこがわかればいっさいの執着から解放された安らかな境地が得られる、ともいう。
儒家が現実世界の秩序を重んじ、礼楽的な調和的社会の建設を理想としたのに対し、道家ではそれを人為的なものとして否定し、人間と自然とを貫く統一的な理法性に注目して、その自ずからな秩序に従うことを目ざした。したがって儒家に比べてより観念的で、個人的、精神主義的な色彩も強い。漢代以後、儒家思想が政治的、公的な面をリードするのに対し、道家は私的、内面的な思想生活を支えるものとなり、宗教や芸術とも深くかかわるものとなった。後漢(ごかん)からの道教(どうきょう)は、道家の人々を祖神と仰ぎ、また道家の思想を教義に取り込んだものである。
[金谷 治]
『『津田左右吉全集13 道家の思想と其の展開』(1964・岩波書店)』▽『『講座東洋思想3 中国思想Ⅱ 道家と道教』(1967・東京大学出版会)』
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諸子百家の一つ。老子を祖とし,その無為自然の説を祖述発展させた列子(れっし),荘子(そうし),関尹子(かんいんし)らのいわゆる37家の流れを汲むものの学をいう。多くは中国固有の民族思想に根ざしており,天性に従い,自然を尊び無為にして外物に侵されぬことを主とすれば,天下はおのずから治まると説いた。法家の思想もこれによる。漢初には黄老(こうろう)の学といい,さらに神仙説,陰陽五行説と合して漢末以後に諸種の迷信が派生し,それらが統合されて道教が生まれた。
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…范祖禹の《唐鑑》,司馬光の《資治通鑑》などがその代表であり,日本の《大鏡》《水鏡》以下の〈かがみもの〉の歴史書もそうした中国の観念をうけた命名である。 鏡に象徴的な意味,あるいは神秘的な意味を見ようとするのは,諸子百家の中でもとくに道家系の人々であった。鏡の外物をあるがままに映す能力に,みずからを白紙の状態において,来る者は拒まず去る者は追わない,道家的な真人の無為のあり方の象徴を見ようとするのである。…
…この道を根本とする考えをさらに発展させ,大小,善悪,賢愚,生死などすべての差別は,同じ道のあらわれ方のちがいにすぎず,差別にとらわれずに自由に生活を楽しむべきであると説いたのが荘子である。老子や荘子の考えは,道を根本として構成されるので,道家とよぶ。このほか論理学を説く名家,陰陽論を説く陰陽家,上述の蘇秦・張儀のごとく外交術を説く縦横家,農業技術や農民思想を説く農家など多くの流派の思想家が活躍し,互いに影響しあい,中国史上最も自由に思想が説かれた時代であり,これらを諸子百家と総称するが,後世に大きな影響を与えたのは儒家と道家であり,法家は思想として表面にあらわれなかったが,儒家の徳をたてまえとする政治を支える技術としてつねに利用された。…
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[儒教の政治思想]
儒教の大きな特色はその政治主義である。それは儒教と並ぶ思潮である道家(老荘)の主張ときわめて明白な対照をなす。道家においては,国家天下を治めることは,人間最高の課題,道のエッセンスをもってすべき事業,ではない。…
※「道家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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