ハリバドラ(その他表記)Haribhadra

改訂新版 世界大百科事典 「ハリバドラ」の意味・わかりやすい解説

ハリバドラ
Haribhadra

8世紀ころのインドのジャイナ教白衣(びやくえ)派の学匠。生没年不詳。ジナバドラJinabhadra(ジナバタJinabhaṭaなどともいう)の弟子とされる。西インドで活躍し,多方面にわたって数多くの著述を残した。彼は聖典に対してサンスクリット注釈を書いた最初の人であると同時に,また俗語マーハーラーシュトリーで書かれた有名な宗教説話文学《サマラーイッチャカハー》の作者としてインドの物語文学の発達にも寄与した。さらに他学派の教義にもきわめて造詣が深く,いずれの学派にも偏することなく真理のみを尊重するとの立場を標榜して,仏教,ニヤーヤ,サーンキヤその他の諸学派の教義を《シャッダルシャナ・サムッチャヤ》(6学派の哲学の集成)の一書にまとめ,また仏教のディグナーガ陳那(ぢんな))の《ニヤーヤ・プラベーシャ(因明入正理論(いんみようにつしようりろん))》に対する注釈書も著した。しかし彼が仏教のダルマキールティ(法称)とその系統の思想に対してだけは批判的で,《アネーカーンタジャヤ・パターカー》を著してその思想を手厳しく批判したことは注目される。同書は仏教思想史の研究の上で,その資料的価値は高いと思われる。このほか《ダルマ・ビンドゥ》(教えの一滴)と題した自派の修道論の綱要書を作るなど,その多才さはおそらくのちのヘーマチャンドラ(12世紀)にも匹敵しよう。
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ハリバドラ
Haribhadra

800年ころの後期インド仏教の思想家。生没年不詳。マイトレーヤ弥勒)作とされる《現観荘厳論》に,《大注》(《現観荘厳光明》)と《小注》という2種の注釈を著したことにより,後世に影響を与えた。《現観荘厳論》は,《八千頌般若経》に対する一種の綱要書であり,本来唯識派との関連が深いが,ハリバドラはこれを中観派の立場から注釈した。とくにシャーンタラクシタとの思想的類似性のゆえに,チベットではその弟子と見られたこともある。
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世界大百科事典(旧版)内のハリバドラの言及

【映画美術】より

…〈プロダクション・デザイナー〉の呼称はメンジーズに始まる。これに対して,フランドル派の絵画をスクリーンに再現して,歴史映画におけるリアリズムの基礎を築いたとされる《女だけの都》(1935)のジャック・フェデル監督や,パリの下町の風景をそっくりオープンセットに再現して,〈巴里〉のイメージを決定的にした《巴里の屋根の下》(1930),《巴里祭》(1932)のルネ・クレール監督に協力して,複雑なカメラワークや微妙な照明を画面に生かしうる装置を設計したメールソンLazare Meerson(1900‐38)は後者を代表し,美術監督の地位の向上に貢献した。メールソンの弟子のトローネルAlexandre Trauner(1906‐93)の仕事は《天井桟敷の人々》(1944)を代表とするマルセル・カルネ=ジャック・プレベール作品に結実し,〈詩的レアリスム〉の名のもとにフランス映画の黄金時代を築くとともに,大戦後はハリウッドにも招かれ,ビリー・ワイルダー監督作品(《アパートの鍵貸します》(1960),パリの中央市場を再現した《あなただけ今晩は》(1963),等々)などを介して,アメリカ映画における美術監督の概念を変容せしめた。…

【トーキー映画】より

…28年,エイゼンシテイン,プドフキン,グリゴリー・アレクサンドロフ(1903‐83)の3人の連名で,〈トーキーのモンタージュ論〉ともいうべき〈トーキーに関する宣言〉が発表された。そして,それを具体化したソビエト最初の長編トーキーであるニコライ・エック(1902‐59)監督の《人生案内》(1931)がつくられ,フランスではルネ・クレールが《巴里の屋根の下》(1931)で新しいトーキー表現を開拓し,アメリカではルーベン・マムーリアンが《市街》(1931)で音を映画的に処理し,ドイツではG.W.パプストが《三文オペラ》(1931)で新しい音楽映画の道を開いた。 その後,トーキーの技術的進歩・改善がつづき,第2次大戦後の磁気録音テープ,ワイド・スクリーンの副産物としての立体音響の登場など,トーキー映画は数々の発明とともに問題を生んで,映画史を築いていくことになる。…

【フランス映画】より

…アンリ・ルーセル監督)がつくられる。そして仏独英3ヵ国語版が製作されたドライヤーのトーキー第1作《吸血鬼》(1931)は興行的に失敗するものの,〈音の対位法〉を探求したクレールのトーキー第1作《巴里の屋根の下》(1930)はフランスの〈トーキー映画の宣言〉となり,また,クレジットタイトルを画面に文字で出す代わりにすべて音声化,すなわち朗読してしまうというトーキーならではの試みを実現したレルビエ監督《黄色の部屋》(1930)などの成功をへて,フランス映画はトーキー時代に入る。 この時期に注目されるのは,マルセル・パニョルとサッシャ・ギトリー(ギトリー父子)という2人の演劇人の活躍で,とくにパニョルは,自作の戯曲がまずアレクサンダー・コルダ監督によって(《マリウス》1931),次いでルイ・ガスニエ監督によって(《トパーズ》1932),そしてマルク・アレグレ監督によって(《ファニー》1932)映画化されたのに刺激され,33年には映画雑誌《レ・カイエ・デュ・フィルム》を創刊し,サイレント映画がパントマイムの具象化であり完成であったのに対して〈トーキーは演劇の具象化であり再創造である〉という独特のトーキー映画論を展開,自分の映画会社を創立し,マルセイユに撮影所を建設して,みずから製作・監督に乗り出し,《アンジェール》(1934),《セザール》(1936),《二番芽》(1937),《ル・シュプンツ》《パン屋の女房》(ともに1938)等々を映画化,レーミュ,フェルナンデルといった南フランスのマルセイユなまりの名優に成功をもたらした。…

※「ハリバドラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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