中観派(読み)チュウガンハ

デジタル大辞泉 「中観派」の意味・読み・例文・類語

ちゅうがん‐は〔チユウグワン‐〕【中観派】

唯識派と並ぶ、インド大乗仏教の二大学派の一。竜樹中論に基づき、くう教義中心とする。三論宗はこれを受け継いだもの。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「中観派」の意味・読み・例文・類語

ちゅうがん‐はチュウグヮン‥【中観派】

  1. 〘 名詞 〙ちゅうがんがくは(中観学派)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「中観派」の意味・わかりやすい解説

中観派 (ちゅうがんは)

インド大乗仏教二大哲学学派の一つで,すべての存在はその固有の本質をもたず(無自性),空であると主張する。サンスクリットでマーディヤミカMādhyamikaという。1~2世紀の竜樹ナーガールジュナ)を開祖とし,その主著中論》より学派名を得る。学派の形成は,4~5世紀に成立した〈瑜伽行派〉(唯識派)との対立に基づくものと思われ,初期,中期,後期に三分される。初期中観派は竜樹,提婆アーリヤデーバ),羅睺羅ラーフラバドラ)らの諸論師によって代表され,竜樹とその直接的影響のもとにある人々である。中期中観派は,ディグナーガ(5~6世紀)の論理学を自己の学説に導入したバーバビベーカ清弁(しようべん))とその態度を批判したチャンドラキールティによって代表され,チベットでは前者を〈自立論証派〉,後者を〈帰謬論証派〉と呼ぶ。後期中観派はダルマキールティ(7世紀)の論理学と認識論を中観派の立場から解釈したジュニャーナガルバシャーンタラクシタカマラシーラハリバドラらの8世紀ころの学者によって代表され,彼らはまたバーバビベーカの系統をうけている。なお最後期ともいうべき11~12世紀にはチャンドラキールティの哲学が再び盛んになったと思われる。それを代表する者にアティーシャ,プラジュニャーカラマティらがあり,チャンドラキールティを絶対視するチベットのツォンカパ(1357-1419)の教学も,この流れに連なるであろう。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中観派」の意味・わかりやすい解説

中観派
ちゅうがんは

インド大乗仏教において瑜伽行(ゆがぎょう)派と並んで重要な学派で、龍樹(りゅうじゅ)(2、3世紀)の『中論』などを基本的な典籍とする。龍樹は般若(はんにゃ)経典を背景として、「すべては、人間が想定しがちな不変で固定的な本質をもつものではない」という空(くう)の思想を、論理性の高い表現によって、日常的なことばや思考のもつ矛盾を暴露することを通じて明らかにした。その後、提婆(だいば)(3世紀)は龍樹の考えを体系化しようと努力し、5、6世紀には仏護(ぶつご)が『中論』の忠実な注釈を試み、清弁(しょうべん)は空の思想を論理学的な推論式で積極的に論証する方法を確立、7世紀には月称(げっしょう)が清弁を批判して、相手の論法に沿った形でその論法の不合理性を明らかにする帰謬(きびゅう)論証のほうがより有効であるとした。後代、中観派が清弁側の独立論証派と月称側の帰謬論証派に分裂するのは、この月称の批判が起因とみなされる。この時期、瑜伽行派と鋭く対立したが、8世紀には、中観派優位の立場で総合が図られる。

[江島惠教]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中観派」の意味・わかりやすい解説

中観派
ちゅうがんは
Mādhyamika

インド大乗仏教思想史上の一学派。ナーガールジュナ (龍樹) ,その弟子のアーリヤデーバ (→提婆。2,3世紀頃) ,アーリヤデーバの弟子のラーフラバドラ (200~300頃) の学系をいう。中観派が学派として明確な形をとったのは,ブッダパーリタ (仏護。 470~540頃) の時代からで,教学の根本は有や無に執着することのない空 (くう) の立場である。すべては空であるからこそ実践が可能であり,もしも空でなかったならば目標を目指して努力することも不可能であると主張する。ブッダパーリタの時代以後,空の認識方法について学派内で意見が分れ,2派が生れた。一派はブッダパーリタの系統でプラーサンギカ (必過性空) prāsaṅgika派と呼ばれ,もう一派はバビヤ (清弁。 490~570頃) に代表されるスバータントリカ (自在論証) Svātantrika派である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「中観派」の意味・わかりやすい解説

中観派【ちゅうかんは】

インド大乗仏教の一派。竜樹の《中論》に基づき,有と無との区別は相対的であり,真実は空であり,中道であるとする〈空観〉に立つ。竜樹を始祖とし,提婆(だいば),羅【ご】羅跋多羅(らごらばだら),青目(しょうもく)らを経て仏護(ぶつご),青弁(しょうべん)により体系化された。3世紀には中国にも伝わり,三論宗となった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の中観派の言及

【インド哲学】より

…大乗仏教では竜樹(ナーガールジュナ,150‐250ころ)が空性説を唱えて,法実有論を徹底的に攻撃した。彼の学系は中観派といわれる。他方,唯識派(瑜伽行派)は,空の立場に立ちながらも,現実生存の根底にアーラヤ識ālayavijñānaという精神的原理を想定し,現実生存がこのように成立している理由を体系的に説明しようとした。…

【中道】より

…このように中道は,二辺を離れることとして理解されるが,苦楽だけではなく,有無,断常,一異等の対立概念も二辺すなわち極端な見解とされ,それによって中道も多種となる。大乗の中観派の祖である竜樹は《中論》において,縁起と空性を中道とみなした。また,いっさいの法(存在)は世俗においては無ではなく有であり,勝義においては有ではなく無であるということが中道である,とも中観派は説いている。…

【竜樹】より

…彼は,その主著《中論》(正確には《中頌》)において説一切有部(せついつさいうぶ)を代表とするいっさいの実在論を否定し,すべてのものは真実には存在せず,単に言葉によって設定されたのみのものであると説いている。この主張を受け継いで成立したのが中観派である。竜樹の真作とされるものには,そのほかに《廻諍論(えじようろん)》《空七十論》《広破論》などがある。…

※「中観派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android