インド大乗仏教二大哲学学派の一つで,すべての存在はその固有の本質をもたず(無自性),空であると主張する。サンスクリットでマーディヤミカMādhyamikaという。1~2世紀の竜樹(ナーガールジュナ)を開祖とし,その主著《中論》より学派名を得る。学派の形成は,4~5世紀に成立した〈瑜伽行派〉(唯識派)との対立に基づくものと思われ,初期,中期,後期に三分される。初期中観派は竜樹,提婆(アーリヤデーバ),羅睺羅(ラーフラバドラ)らの諸論師によって代表され,竜樹とその直接的影響のもとにある人々である。中期中観派は,ディグナーガ(5~6世紀)の論理学を自己の学説に導入したバーバビベーカ(清弁(しようべん))とその態度を批判したチャンドラキールティによって代表され,チベットでは前者を〈自立論証派〉,後者を〈帰謬論証派〉と呼ぶ。後期中観派はダルマキールティ(7世紀)の論理学と認識論を中観派の立場から解釈したジュニャーナガルバ,シャーンタラクシタ,カマラシーラ,ハリバドラらの8世紀ころの学者によって代表され,彼らはまたバーバビベーカの系統をうけている。なお最後期ともいうべき11~12世紀にはチャンドラキールティの哲学が再び盛んになったと思われる。それを代表する者にアティーシャ,プラジュニャーカラマティらがあり,チャンドラキールティを絶対視するチベットのツォンカパ(1357-1419)の教学も,この流れに連なるであろう。
執筆者:松本 史朗
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インド大乗仏教において瑜伽行(ゆがぎょう)派と並んで重要な学派で、龍樹(りゅうじゅ)(2、3世紀)の『中論』などを基本的な典籍とする。龍樹は般若(はんにゃ)経典を背景として、「すべては、人間が想定しがちな不変で固定的な本質をもつものではない」という空(くう)の思想を、論理性の高い表現によって、日常的なことばや思考のもつ矛盾を暴露することを通じて明らかにした。その後、提婆(だいば)(3世紀)は龍樹の考えを体系化しようと努力し、5、6世紀には仏護(ぶつご)が『中論』の忠実な注釈を試み、清弁(しょうべん)は空の思想を論理学的な推論式で積極的に論証する方法を確立、7世紀には月称(げっしょう)が清弁を批判して、相手の論法に沿った形でその論法の不合理性を明らかにする帰謬(きびゅう)論証のほうがより有効であるとした。後代、中観派が清弁側の独立論証派と月称側の帰謬論証派に分裂するのは、この月称の批判が起因とみなされる。この時期、瑜伽行派と鋭く対立したが、8世紀には、中観派優位の立場で総合が図られる。
[江島惠教]
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…大乗仏教では竜樹(ナーガールジュナ,150‐250ころ)が空性説を唱えて,法実有論を徹底的に攻撃した。彼の学系は中観派といわれる。他方,唯識派(瑜伽行派)は,空の立場に立ちながらも,現実生存の根底にアーラヤ識ālayavijñānaという精神的原理を想定し,現実生存がこのように成立している理由を体系的に説明しようとした。…
…このように中道は,二辺を離れることとして理解されるが,苦楽だけではなく,有無,断常,一異等の対立概念も二辺すなわち極端な見解とされ,それによって中道も多種となる。大乗の中観派の祖である竜樹は《中論》において,縁起と空性を中道とみなした。また,いっさいの法(存在)は世俗においては無ではなく有であり,勝義においては有ではなく無であるということが中道である,とも中観派は説いている。…
…彼は,その主著《中論》(正確には《中頌》)において説一切有部(せついつさいうぶ)を代表とするいっさいの実在論を否定し,すべてのものは真実には存在せず,単に言葉によって設定されたのみのものであると説いている。この主張を受け継いで成立したのが中観派である。竜樹の真作とされるものには,そのほかに《廻諍論(えじようろん)》《空七十論》《広破論》などがある。…
※「中観派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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