ハーフィズイブラーヒーム(英語表記)Ḥāfiẓ Ibrāhīm

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ハーフィズ・イブラーヒーム
Ḥāfiz Ibrāhīm
生没年:1871-1932

エジプト詩人ナイル川船上で生まれたことから〈ナイルの詩人〉という尊称によって知られる。上エジプトに技術官の父とトルコ女性の母との間に生まれる。カイロ兵学校に入り,そこで激しい政治運動を展開したためスーダンに左遷される。そこでもイギリス人指揮官に対する反抗ゆえに退役させられ,カイロで職もなく長いこと暮らす。政治的・社会的内容をもつ詩作を行い,後半生はダール・アルクトブ(図書館)に職を得るが,一転して保守的になる。よって人々は〈ハーフィズが沈黙したときシャウキー民衆の問題を語りだす〉と言った。マカーマート形式により当時の社会を批判した書《スティハの夜Layālī Suṭīḥ》(1906)の著者として知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ハーフィズ・イブラーヒーム
Ḥāfiẓ Ibrāhīm

[生]1871.2.4. ダイルート
[没]1932.7.21. カイロ
エジプトの詩人。フルネーム Muḥammad Ḥāfiẓ Ibrāhīm。「ナイルの詩人」と呼ばれ,その作品はエジプトの人々に広く愛唱されている。スーダンで軍に勤務。のちムハンマド・アブドゥフに師事し,当時の名士たちと知り合い,称賛詩や社会詩を多く書いた。1903年にはビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』をアラビア語に訳し,『サティフの夜』Lyālī Saṭiḥ(1908)では小説を試みている。ほかに日露戦争時の日本の看護師の活動に感銘を受けて発表した 40行詩『日本の娘たち』(1904)がある。

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20世紀西洋人名事典 の解説

ハーフィズ・イブラーヒーム
Ḥāfiz Ibrāhīm


1871 - 1932
エジプトの詩人。
エジプト生まれ。
カイロの兵学校時代に激しい政治運動を展開し、スーダンに左遷された。スーダンにおいても英国人指揮官に対する反抗により退役させられた。後、政治的、社会的内容の詩作活動を行い、後半生はダール・アルクトブ(図書館)に勤務。ナイルの船上で生まれたことから「ナイルの詩人」という尊称がある。著書「スティハの夜」(1906年)。

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百科事典マイペディア の解説

ハーフィズ・イブラーヒーム

エジプトの詩人。上エジプトに生まれる。父はエジプトの技官,母はトルコ女性。ナイル川の船上で生まれたことから〈ナイルの詩人〉と呼ばれる。カイロの兵学校在学中に政治運動に参加,スーダンに左遷されるが,英軍指揮官に反抗し退役させられる。カイロで民族主義的・社会的な色彩の強い詩を次々と発表したが,後半生は保守的となる。代表作に《スティハの夜》(1906年)がある。

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