バルーク案(読み)バルークあん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルーク案」の意味・わかりやすい解説

バルーク案
バルークあん
Baruch Plan

アメリカの原子力国際管理案で,1946年6月 14日に開かれた国連原子力委員会の第1回会議でアメリカ代表 B.バルークが提案した。その要点は,(1) 原子力の国際管理のため超国家的な国際原子力開発機関 IADAを設ける,(2) 原子力兵器 (核兵器) の研究は,IADAが独占的に行う,(3) ウラン鉱石,ウラン 235分離工場など重要な原料と施設は,IADAが独占的に所有,経営する,(4) IADAが有効な活動を開始したのち,段階を追って国際管理計画を進め,国際管理規定の違反に対する処罰が定められたならば原子力兵器の製造停止や廃棄を行う,(5) 原子力に関するかぎり,安全保障理事会における大国の拒否権を認めないことなどであった。国際管理体制の確立を優先させようとするこのバルーク案は,ソ連グロムイコ案と対立し,交渉が行きづまった。バルーク案を基礎とした原子力国際管理案は,形式的には 48年 11月に国連総会で承認されたが,ソ連の反対のため実質的効果はなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルーク案」の意味・わかりやすい解説

バルーク案
ばるーくあん

1946年6月14日に国連原子力委員会の最初の会議で、アメリカ代表バルークB. M. Baruchが行った演説のなかで提案した原子力の国際管理案。7月に提出された三つの覚書によって、その全容はさらに明らかにされた。この案では、国連に国際原子力開発機関(多数決の表決方式)を設置し、いっさいの原子力活動がその統制下に置かれることとされ、究極においては原爆の製造停止と処分が目ざされてはいるが、兵器としての原子力管理体制が実効的に確立するまでは、アメリカの原爆保有が認められることになっている。委員会では、アメリカのほかイギリスなど8か国がこれを支持したが、ソ連など2か国が反対した。

[石本泰雄]

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