パエス(英語表記)José Antonio Páez

改訂新版 世界大百科事典 「パエス」の意味・わかりやすい解説

パエス
José Antonio Páez
生没年:1790-1873

ベネズエラ独立戦争の英雄で,大統領在任1831-35,39-43,61-63年。リャノ牧童指導者として,ボリーバルとともにカラボホの戦(1821)を勝利に導き,ベネズエラの独立を決定的にした。1826年グランコロンビアからの独立を企て,29年分離独立して,初代大統領となった(1831)。40年代末まで一部の大地主や商人と密接にかかわりながら保守寡頭政治を基盤実権を握っていたが,63年自由主義派によってアメリカに追放された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パエス」の意味・わかりやすい解説

パエス
Páez, José Antonio

[生]1790.6.13. アカリグア
[没]1873.5.7. ニューヨーク
ベネズエラの政治家。独立運動の指導者。大統領 (在任 1831~35,39~43) 。先住民 (インディオ) の血をひく農民で,1810年独立運動に参加し,S.ボリバルの革命軍に参加。カラボボ (21) ,プエルトカベリョ (23) の戦役で功績をあげ,ベネズエラの解放に貢献したが,ボリバルの大コロンビア構想 (ベネズエラ,コロンビア,エクアドル連合を企図) に反対して 30年ベネズエラを分離独立させ,憲法制定会議を開いてベネズエラ憲法を定めた。独立後大統領を2期つとめたのち,50年に政争に敗れて亡命。 61年独裁者として再び迎えられたが,2年後に辞職し,アメリカで余生をおくった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パエス」の意味・わかりやすい解説

パエス
ぱえす
José Antonio Páez
(1790―1873)

ベネズエラ、リャノス草原)地方の牧童出身の軍人、政治家。同国中西部アカリグアに生まれる。1810年の独立戦争にはスペイン側についたが、のちに解放軍側に移った。17年アプレ地方の解放指導者となり、ボリーバルの植民地解放軍に合流して、21年カラボボの戦いを勝利に導いた。30年、大コロンビア共和国の分裂に伴い、分離・独立したベネズエラの初代大統領に任命された。39年ふたたび政権を握り頭領的性格を強めた。グスマン・ブランコらの反対勢力を牽制(けんせい)するため、東部の頭領モナガスを次期大統領に推したが、モナガスは就任後にグスマン・ブランコと結んだため、パエスは敗れ国外に脱出した。その後数回政権奪回を企てたが失敗し亡命先のニューヨークで没した。

[寿里順平]

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百科事典マイペディア 「パエス」の意味・わかりやすい解説

パエス

ベネズエラ独立の英雄で,大統領。リャノの牧童の指導者として,ボリーバルとともに1821年,ベネズエラの独立を決定づける。のちボリーバルのグラン・コロンビア構想に反対し,分離したベネズエラの初代大統領(1831年―1835年)となった。1839年,1861年にも大統領となり実権を握っていたが,1863年自由主義派によって追放された。

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世界大百科事典(旧版)内のパエスの言及

【ベネズエラ】より


[石油採掘の始まり]
 1830年1月ベネズエラはグラン・コロンビアから分離独立した。新憲法に基づき,カラカスが首都に定められ,J.A.パエスが初代大統領に任命された。独立戦争で活躍した将兵や,彼らに資金援助をしたカラカスの商人たちは植民地政府側の諸勢力の旧所有地の払下げを受け,さらに公有地や先住民共有地の売却は彼らに土地集中の好機を与えた。…

※「パエス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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