改訂新版 世界大百科事典 「ぶらんこ」の意味・わかりやすい解説
ぶらんこ
つり下げた2本の綱の下端に板を渡し,これに乗って前後に揺り動かして遊ぶもの。ぶらんことはポルトガル語のbalançoに由来するという説があるが,よくわからない。
ぶらんこの分布
ぶらんこは世界各地にみられるが,旧大陸におけるぶらんこは,伝播の中心地をメソポタミア(前3千年紀中ごろのマリ)とインド(前2千年紀後半のベーダ時代)とにもっている。インドのぶらんこがメソポタミアからの伝播であるか否かは,伝播である可能性を大きくもちながらも,最終決着はまだみない。メソポタミアのマリではニンフルサーグ女神に捧げられた豊穣儀礼としてぶらんこが行われた。インドではぶらんこはホートリ祭官がつかさどるヒンドゥー儀礼であり(この儀礼的ぶらんこをプレンカprenkhaといった),ぶらんこ自体が太陽あるいは風と同一視され,太陽呪助,豊穣多産,天地媒介という三つの宗教的意味をもっていた。メソポタミア周辺の古代世界では,小アジア,クレタ島,アテナイ,ローマなどにマリ系統の豊穣ぶらんこが行われた。他方インド以東では,ヒンドゥー文化の東進に伴いプレンカが北ルートでチベット・中国・朝鮮・日本に入り,また南ルートで東南アジアの大陸部と島嶼(とうしよ)部とに広がったが,オセアニアには至らなかった。
インドのプレンカは座板を2本の綱で懸垂する形式であり,インド以東はプレンカによって初めてこの形式を知った。プレンカ以前の土着のぶらんこは,つるした1本の綱や籐にぶらさがって振るか,下端を足を置くための輪にした1本綱形式であった。プレンカの三つの宗教的意味のうち,太陽呪助は東アジア,南ロシア,ヨーロッパに今日なお認められる。例えば,中国のぶらんこは春の太陽のよみがえりを促す改火習俗たる寒食節(寒食)の行事で,カフカス,マケドニア,ブルガリアのスラブ人は春の太陽祭にぶらんこをする。またイタリアとスペインでは元来が冬至祭であるクリスマスに,また北欧のエストニア人とレット人は夏至にぶらんこに乗る習慣をもっている。ぶらんこは古くから女の遊戯とされてきたが,これはプレンカの豊穣多産機能が天父地母聖婚観念に基礎づけられていたことの記憶である。つまりぶらんこ自体は天父太陽であったため,これには女が乗ることで聖婚が果たされたのである。ぶらんこは新大陸にも知られており,旧大陸との伝播関係はまだ不明ながら,中米のトトナコ文化からは2人の女児が乗ったぶらんこ遺物が出土している。
執筆者:寒川 恒夫
日本
《和名抄》には〈鞦韆,和名由佐波利(ゆさはり)〉とあり,また〈ぶらここ〉ともいった。嵯峨天皇に鞦韆(しゆうせん)の詩があり宮中でも行われていた。明治以降,新しく体育用具として西洋式のぶらんこが移入され,学校の校庭などに設けられるが,古くから童戯として行われてきた。各地のぶらんこの方言をみると,ビャチゴ,インサンブンサン,ビシャコ,ユサゴ,イサ,ユダラコ,ユルゲ,ドンヅルコ,ドオンスイ,ブランドキ,ブラサンコ,ブラリンコなどさまざまであるが,一つは揺するという語に基づいたユサ,ユサンゴ系統の語と,いま一つはドンヅキ,ドンモンなどドンと突いて動かす系統の語とに大別される。前者は西日本,後者は東日本に多い。新潟県には,綱を用いずに単に横に出た枝に両手をかけて揺さぶって楽しむ〈ビンゴサンゴ〉という遊びがあり,ぶらんこの古い形とみられている。新潟県糸魚川市では,三月節供に女の子どもが餅をもってこの遊びをしに行ったといい,このときに〈ビンゴサンゴ,サラサンゴ〉と唱えたという。また,南九州から南島にかけては,五月節供のころに海に近い浜辺で女の子たちがぶらんこに乗って遊ぶ風習があった。例えば,鹿児島県薩摩川内市西方浜などでは,大正年間まで旧五月節供にブサランコを行っていたという。この日,女の子たちは晴着をつけてぶらんこをつくり交代で遊ぶが,そこに赤ふんどし一つの男の子たちが何度か押しかけてきて騒ぎ,綱を切り,その綱は神社に納めておいて八月十五夜の綱引き綱に用いたという。このぶらんこの行事は,5月のはじめに海のかなたの竜神が訪れてくる行事と考えられている。この地のぶらんこの行事には,成年式の意味もあるようだが,ぶらんこ遊びはたいてい節供という季節の折目に行われるところから,禊祓(みそぎはらい)の意味もあったかと思われる。奄美地方では,イサまたはイエサといって天井からつるした箱やかごに赤ん坊を入れて寝かせればネズミにくわれないといい,ときどき遠くからひもを引いて揺すったという。また島によっては,命名式の際にこのイサを動かしながら,名付親が大声でその名をいって聞かせるという風習もあった。
ぶらんこは,身体を揺すると同時に,その霊魂を振り動かして発動させる呪具ともされていたらしく台湾の高砂族などでは,穂ばらみの季節に,ぶらんこに乗って穀霊の生長を促す風習がみられた。これは,自分たちの霊魂と同様に,ぶらんこの働きで穀霊の活動を活発にしようという信仰にもとづく風習と思われる。
執筆者:飯島 吉晴
朝鮮
朝鮮ではクネkuneとよばれ,端午の日に女子のぶらんこ乗り(クネティギ)が,男子の相撲(シルムとよばれる朝鮮相撲)とともに盛んに行われる。これは朝鮮における成年儀礼の一つで,裏山や村はずれの大樹の枝に長いぶらんこをたらし,チマ・チョゴリ姿の娘たちがぶらんこの高さをきそう光景は李朝時代の風俗画にも描かれている。《東国歳時記》などによると,クネはもと北方民族のもので,中国に入って鞦韆(しゆうせん)とよばれ,寒食の日に鞦韆の競技(半仙戯)が行われたが,やがて朝鮮に伝わり高麗時代には宮中でも盛行し,のちに端午の行事になったという。端午の日には全国いたるところでぶらんこ競技大会が開かれるが,伝統的には朝鮮北部で盛んであった。
執筆者:李 杜 鉉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報