改訂新版 世界大百科事典 「パナマ会議」の意味・わかりやすい解説
パナマ会議 (パナマかいぎ)
1826年S.ボリーバルの提唱で開催されたラテン・アメリカ諸国による最初の国際会議。1824年末,当時グラン・コロンビアの大統領であったボリーバルは,独立直後のラテン・アメリカ諸国に対しその独立を確保する手段について協議するための会議をパナマ市で開くよう呼びかけた。26年6月から7月にかけて開かれた会議に出席したのはメキシコ,中央アメリカ連邦,ペルー,グラン・コロンビアの4ヵ国で,ラ・プラタ連合(アルゼンチン),チリ,ブラジルは出席せず,イギリスとオランダがオブザーバーとして出席し,アメリカ代表は会議にまにあわなかったため出席できなかった。会議では共同防衛のための4ヵ国同盟条約や,連合軍の創設を定めた協約などが締結されたが,同盟条約を批准したのがグラン・コロンビア1国のみであったため,ボリーバルの念願であった軍事同盟は結局実現しなかった。とはいえ,この会議はラテン・アメリカ諸国の統合を目ざしたボリーバルの思想が具体化されたものとして,またその後のラテン・アメリカ諸国による統合の動きの起源となった点で重要な意義をもっている。
→パン・アメリカ主義
執筆者:加茂 雄三
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