ヒュルフローニェ(英語表記)Christiaan Snouck Hurgronje

改訂新版 世界大百科事典 「ヒュルフローニェ」の意味・わかりやすい解説

ヒュルフローニェ
Christiaan Snouck Hurgronje
生没年:1857-1936

オランダのイスラム学者。姓は正しくはスヌーク・ヒュルフローニェ。ライデン大学神学セム語を学び,1880年にメッカ巡礼についての論文で博士号を取得した。84-85年,アラビアに滞在したが,キリスト教徒としてメッカ滞在6ヵ月の最長記録は,彼がいかにアラビア語やイスラム学に精通していたかを物語る。88年から翌年にかけて大著《メッカ》2巻をドイツ語で書き,世界的名声を確立した。89年からオランダ領東インド政府官吏としてインドネシアに勤務し,すでに十数年来続いていたスマトラアチェ戦争につき,政庁に助言してその収拾に寄与しつつ,《アチェ人》2巻(1893,94)を著した。1906年に帰国してライデン大学アラビア語教授となり,政府の東インドおよびアラビア問題に関する顧問を兼ねた。全集と助言集が出版されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒュルフローニェ」の意味・わかりやすい解説

ヒュルフローニェ
Hurgronje, Christiaan Snouck

[生]1857.2.8.
[没]1936.6.26.
オランダのイスラム学者,東洋学者。アラビアに数年間滞在して大著『メッカ』 Mekka (1888~89) を出版し,さらにインドネシアに行って 1906年までイスラム研究を続けた。この間に著わした『アチェ人』 De Atjehers (93~94) はアチェ戦争におけるオランダの政策の誤りを指摘し,その終結貢献した。 06年にライデン大学教授に就任し,またインドネシア問題顧問として植民政策多くの助言をした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヒュルフローニェ」の解説

ヒュルフローニェ
C. Snouck Hurgronje

1857~1936

オランダのイスラーム学者。アラビアで実地研究後,1889年からオランダ領東インド官吏。イスラーム問題の研究,政策助言を託され,アチェ戦争の早期解決に貢献。1906年帰国後,ライデン大学教授,東インド,アラブ問題政府顧問。

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