日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビティニア」の意味・わかりやすい解説
ビティニア
びてぃにあ
Bithynia
ボスポラス海峡とマルマラ海に面する小アジア北西部地域の古称。降水量が豊富でサンガリウス川(現在のサカリヤ川)を中心に肥沃(ひよく)な平野が広がり、穀類、果樹をはじめ農産物に恵まれていた。住民はトラキア系で、紀元前8世紀以来ギリシア人の植民都市が設けられ、両者の対立は絶えなかった。のちアケメネス朝ペルシアの支配下に入り、前3世紀に独立してビティニア王国を建て、ヘレニズム文化を受容した。王都はニコメディア(現在のトルコ北西部のイズミット)。前74年ニコメデス4世は王国をローマに遺贈し、ポンペイウスがこれにポントスを加えてビティニア・ポントス州をつくり属州とした。帝政期にはキリスト教布教の中心地となった。
[田村 孝]