ボスポラス海峡(読み)ボスポラスカイキョウ(その他表記)Bosporus Strait

デジタル大辞泉 「ボスポラス海峡」の意味・読み・例文・類語

ボスポラス‐かいきょう〔‐カイケフ〕【ボスポラス海峡】

Bosporusトルコ北西部にあり、黒海マルマラ海とを結ぶ海峡ダーダネルス海峡とともにヨーロッパアジア境界をなし、古くから軍事交通要地。2本の道路橋が架かるほか、2013年には海底鉄道トンネルが開通

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精選版 日本国語大辞典 「ボスポラス海峡」の意味・読み・例文・類語

ボスポラス‐かいきょう‥カイケフ【ボスポラス海峡】

  1. ( ボスポラスはBosporus ) トルコ西部、小アジアの北西部とバルカン半島東端部を隔てる海峡。黒海とマルマラ海とを結び、古来、黒海からダーダネルス海峡を経て地中海に至る重要な水路。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボスポラス海峡」の意味・わかりやすい解説

ボスポラス海峡
ぼすぽらすかいきょう
Bosporus Strait

黒海とマルマラ海を結ぶ海峡。ダーダネルス海峡とともに小アジアとヨーロッパの接点となっている。長さ30キロメートル、幅0.6~3キロメートル。両岸は比較的切り立っている。ペルシア戦争のおり、アケメネス朝ペルシアのダリウス1世は、トラキア攻撃のため船橋をもって通過したといわれる。ギリシア植民都市として海峡の入口にビザンティウムが成立し、330年コンスタンティノープルと改名されローマ帝国の首都となり、この繁栄によって海峡は黒海方面の交易ルートとして重要となった。オスマン朝は、アジア岸にアナドル・ヒサル、反対岸にルメリ・ヒサルを築きボスポラス海峡を制圧し、1453年コンスタンティノープル(1457年イスタンブールと改名)を占領。以後、黒海はオスマン帝国の内海となり、海峡の外国船の航行は禁止された。18世紀ロシアは黒海北岸に進出、海峡の自由通航権を要求し、1774年クチュク・カイナルジ条約により、地中海への出口を確保した。その後、ヨーロッパ諸国も同様な権利を得、オスマン帝国のボスポラス海峡支配は弱まった。1841年、イギリス、フランス、プロイセンオーストリア、ロシアの各国は、海峡協定を定め、平時の外国軍艦の無許可通航を禁止した。第一次世界大戦にオスマン帝国が敗れると、1918年国際海峡委員会が成立し、海峡の管理を行い海峡地帯を非武装化した。トルコ共和国成立後の1936年、モントルー条約により、国際海峡委員会、海峡非武装化が廃され、若干の制限があるもののボスポラス海峡はトルコ共和国の主権下に入った。1973年に1本目、1988年に2本目の海峡横断の吊橋(つりばし)が架けられ、さらに2013年には海峡横断鉄道トンネルが完成した。

[設楽國廣]

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百科事典マイペディア 「ボスポラス海峡」の意味・わかりやすい解説

ボスポラス海峡【ボスポラスかいきょう】

トルコ語ではカラデニズ海峡。黒海マルマラ海を結ぶ海峡。長さ約30km,幅0.5〜2.5km。水深50〜70m。マルマラ海の入口にイスタンブールがあり,軍事・交通の要地となっている。魚類に富む。1973年海峡南部にボスポラス大橋が完成,ヨーロッパとアジア両大陸は陸続きとなった。2004年5月には海底トンネル工事が着工し,2011年2月にトンネル全体が貫通。2013年10月に鉄道整備が整い開通となった。開通の式典には安倍晋三首相も参加した。→海峡条約
→関連項目アナトリアイオキュチュク・カイナルジャ条約

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボスポラス海峡」の意味・わかりやすい解説

ボスポラス海峡
ボスポラスかいきょう
Bosporus; Bosphorus

黒海マルマラ海を結ぶ海峡。イスタンブール海峡 İstanbul Boǧazıとも呼ばれる。この海峡によってトルコはアジア側とヨーロッパ側とに分けられる。南北の全長は 30km,幅は黒海側の入口が最も広く 3.7kmあり,最も狭いところは 750m,水深は 36~124m。海峡の中央部を黒海からマルマラ海に向かって速い海流が流れるが,深層には逆向きの潮流があり,マルマラ海から黒海へ塩分濃度の高い海水を運ぶ。魚が季節によって黒海との間を移動するので漁業は盛んである。海峡の北岸にあるイスタンブールを防衛するため,ビザンチン帝国の皇帝もオスマン帝国スルタンも,海岸沿いに要塞を構えた。18~19世紀にヨーロッパ諸国が海峡を国際管理しようとしたが,1936年トルコの管理権が回復した(→海峡問題)。イスタンブール北郊で,1973年にボスポラス海峡橋が,1988年に第2ボスポラス海峡橋が完成し,二つの橋がアジアとヨーロッパを結んでいる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボスポラス海峡」の意味・わかりやすい解説

ボスポラス海峡 (ボスポラスかいきょう)
Bosporus Straits

トルコ北西部,ヨーロッパとアジア両大陸を分け,マルマラ海と黒海を結ぶ海峡。全長32km,幅0.5~2.5km,平均深度50~70m。ボスポラス海峡は,黒海からマルマラ海とダーダネルス海峡を経て地中海へ至る通路にあたり,ビザンティン帝国の重要な通商路であった。1453年以来オスマン帝国の管理下におかれ,18世紀以降ロシアの南下とともに近代ヨーロッパ政治史上海峡の支配権と通行権をめぐるいわゆる〈海峡問題〉の焦点となってきた。1973年,海峡南部にボスポラス大橋(1074m)が完成してヨーロッパとアジアは陸続きとなった。
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旺文社世界史事典 三訂版 「ボスポラス海峡」の解説

ボスポラス海峡
ボスポラスかいきょう
Bosporus

トルコの北西部,黒海とマルマラ海を結び,アジアとヨーロッパとを分ける海峡
ダーダネルス海峡とともに古くから軍事・交通上の要地で,中世にはビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの大貿易港があった。1452年以来オスマン帝国が支配し,1841年の海峡条約で,平時,オスマン帝国以外の国の海軍の通過が禁止された。しかし,1923年のローザンヌ条約で非武装化され,36年トルコ共和国が管理することになった。

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世界大百科事典(旧版)内のボスポラス海峡の言及

【海峡問題】より

…一般には黒海と地中海を結ぶダーダネルス,ボスポラス両海峡の軍艦の通航権をめぐる国際紛争を指す。今日では重要な海上輸送路にあたるマラッカ,ホルムズ両海峡,さらに,海軍力の通過する他の海峡についても関心がはらわれている。海峡は,歴史的に,異なる文明や地域間の十字路として象徴的な意味が与えられてきた。とくに,頻繁な海上交通路にあたる海峡付近には交易の拠点が,戦略上の重要性が意識される海峡には軍事基地が,設けられてきた。…

※「ボスポラス海峡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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