日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボスポラス海峡」の意味・わかりやすい解説
ボスポラス海峡
ぼすぽらすかいきょう
Bosporus Strait
黒海とマルマラ海を結ぶ海峡。ダーダネルス海峡とともに小アジアとヨーロッパの接点となっている。長さ30キロメートル、幅0.6~3キロメートル。両岸は比較的切り立っている。ペルシア戦争のおり、アケメネス朝ペルシアのダリウス1世は、トラキア攻撃のため船橋をもって通過したといわれる。ギリシア植民都市として海峡の入口にビザンティウムが成立し、330年コンスタンティノープルと改名されローマ帝国の首都となり、この繁栄によって海峡は黒海方面の交易ルートとして重要となった。オスマン朝は、アジア岸にアナドル・ヒサル、反対岸にルメリ・ヒサルを築きボスポラス海峡を制圧し、1453年コンスタンティノープル(1457年イスタンブールと改名)を占領。以後、黒海はオスマン帝国の内海となり、海峡の外国船の航行は禁止された。18世紀ロシアは黒海北岸に進出、海峡の自由通航権を要求し、1774年クチュク・カイナルジ条約により、地中海への出口を確保した。その後、ヨーロッパ諸国も同様な権利を得、オスマン帝国のボスポラス海峡支配は弱まった。1841年、イギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシアの各国は、海峡協定を定め、平時の外国軍艦の無許可通航を禁止した。第一次世界大戦にオスマン帝国が敗れると、1918年国際海峡委員会が成立し、海峡の管理を行い海峡地帯を非武装化した。トルコ共和国成立後の1936年、モントルー条約により、国際海峡委員会、海峡非武装化が廃され、若干の制限があるもののボスポラス海峡はトルコ共和国の主権下に入った。1973年に1本目、1988年に2本目の海峡横断の吊橋(つりばし)が架けられ、さらに2013年には海峡横断鉄道トンネルが完成した。
[設楽國廣]