ピアティゴルスキー

百科事典マイペディア 「ピアティゴルスキー」の意味・わかりやすい解説

ピアティゴルスキー

ロシア出身の米国チェロ奏者。ウクライナドニエプロペトロフスク(当時ロシア領エカチェリノスラフ)に生まれ,モスクワ音楽院に学ぶ。フルトウェングラーに見出され1923年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者に就任。その後ソリストとしても名を上げ,1929年米国にデビュー。フォイアマンの後を受け,ハイフェッツルビンステインと組んだ通称〈100万ドル・トリオ〉は有名。ウォルトンの《チェロ協奏曲》(1956年,初演1957年)など,多くの作品の初演も手がけた。1936年初来日。

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改訂新版 世界大百科事典 「ピアティゴルスキー」の意味・わかりやすい解説

ピアティゴルスキー
Gregor Piatigorsky
生没年:1903-76

ロシア出身のアメリカのチェロ奏者。モスクワ音楽院を卒業ボリショイ劇場管弦楽団の首席奏者になったが,ドイツに移り,1924-28年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者を務める。その後独奏者に転じ,29年渡米,ニューヨークで成功をおさめ,以後アメリカを本拠に活動,42年市民権を獲得した。49年にピアノルビンステインバイオリンハイフェッツと組んだピアノ三重奏団は〈100万ドル・トリオ〉と呼ばれ,大評判となった。62年南カリフォルニア大学教授に就任。甘美な音色できめ細かく歌いあげることを得意とした。1936年初来日。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピアティゴルスキー」の意味・わかりやすい解説

ピアティゴルスキー
Piatigorsky, Gregor

[生]1903.4.17. エカテリノスラフ
[没]1976.8.6. ロサンゼルス
ロシア生れのアメリカのチェロ奏者。モスクワ音楽院で初めバイオリンを学び,のちにチェロに転じ,モスクワ帝室歌劇場,ワルシャワ歌劇場の第1チェロ奏者をつとめたのち,1925~29年 W.フルトベングラーに認められてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1チェロ奏者をつとめた。 41年カーティス音楽学校教授となり,アメリカ市民権を得た。 V.ホロウィッツ,N.ミルスタインと組んだのち,A.ルビンステイン,J.ハイフェッツとトリオを組み「百万ドル・トリオ」と呼ばれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピアティゴルスキー」の意味・わかりやすい解説

ピアティゴルスキー
ぴあてぃごるすきー
Gregor Piatigorsky
(1903―1976)

ロシア出身のアメリカのチェロ奏者。モスクワ音楽院を出てドイツに行き修業中、フルトベングラーにみいだされ、1924~28年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者を務める。29年渡米、独奏活動に専念、チェロを甘美に歌わせる独特の奏法で人気を博した。36年(昭和11)初来日。第二次世界大戦後の46年(昭和21)ルービンシュタイン、ハイフェッツとトリオを組み、室内楽に進出、これは「百万ドル・トリオ」と称されて好楽家を喜ばせた。

岩井宏之]

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