フォイアマン(読み)ふぉいあまん(英語表記)Emanuel Feuermann

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォイアマン」の意味・わかりやすい解説

フォイアマン
ふぉいあまん
Emanuel Feuermann
(1902―1942)

オーストリア出身のアメリカのチェロ奏者。ウィーンライプツィヒで学び、短期間オーケストラ奏者を務めたのち、独奏、室内楽、教育活動に入る。1929年ベルリン音楽大学教授となったが、ナチスに反対して辞任渡米。34年(昭和9)と36年に来日している。卓越した技巧家として知られ、バイオリン独奏曲をチェロで楽々と演奏して聴衆を驚かせた。渡米後は独奏のほかルービンシュタインハイフェッツピアノ三重奏を組んで活躍、またカーチス音楽学校教授も務めた。カザルスの後継者と目されたが、40歳の誕生日を前にニューヨークで病死した。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォイアマン」の意味・わかりやすい解説

フォイアマン
Feuermann, Emanuel

[生]1902.11.22. コロムイヤ
[没]1942.5.25. ニューヨーク
オーストリアのチェロ奏者。ウィーンで A.ワルターに師事,11歳でデビューし,ライプチヒで J.クレンゲルに学び,16歳でケルン音楽院の教授になった。 1929~33年ベルリン音楽院の教授。すぐれた技巧と堂々たる風格のあるスタイルで 20世紀前半最高のチェリストと称された。 38年アメリカに帰化

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