日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
べるりんふぃるはーもにーかんげんがくだん
Berliner Philharmonisches Orchester
1882年に設立されたオーケストラ。当初はフランツ・ビュルナーFranz Wullner(1832―1902)らの指揮で、大衆受けのする曲目を並べた演奏会を多く行うなど多難であったが、1887年ハンス・フォン・ビューローが常任指揮者に着任後急速に評価を高め、以後今日に至るまで世界有数のオーケストラとしての位置を保っている。歴代の常任指揮者、音楽監督は、ビューロー(1887~93)、リヒャルト・シュトラウス(1893~95)、アルトゥール・ニキシュ(1895~1922)、ウィルヘルム・フルトベングラー(1922~45、1948~54)、セルジュ・チェリビダッケ(1945~48)の後、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1955~89)が長く音楽監督を務めた。1989年にカラヤンが亡くなった後、その地位はクラウディオ・アッバード(1990~2001)に受け継がれた。2002年からはサイモン・ラトルSimon Rattle(1955― )が常任指揮者、音楽監督を務める。
ニキシュによる演奏曲目の多様化、フルトベングラーによる新作の積極的演奏を経て、現在はハンス・シャローンHans Scharoun(1893―1972)の設計で1963年に完成した旧西ベルリンの新フィルハーモニー・ホールなどにおいて世界有数の指揮者を迎えての定期演奏会のほか、ザルツブルク復活祭音楽祭出演、録音、演奏旅行を行っている。同管弦楽団員による種々の室内楽活動も盛んで、団員を母体とした八重奏団なども高い評価を得ている。管弦楽団の初来日は1957年(昭和32)で、以降たびたび日本公演を行っている。
[美山良夫]
『ウェルナー・エールマン著、福原信夫訳『ベルリン・フィル物語』(1977・立風書房)』▽『門馬直美編『カラヤン――ベルリンフィルとともに』(1981・ティビーエス・ブリタニカ)』▽『W・シュトレーゼマン著、香川檀訳『ベルリン・フィルハーモニー――栄光の軌跡』(1984・音楽之友社)』▽『ディーター・ブルーム写真、エマーヌエル・エッカルト著、礒山雅訳『ザ・オーケストラ――帝王カラヤンとベルリン・フィルの全貌』(1984・インターフェース)』▽『カール・ライスター著、石井宏監訳『ベルリン・フィルとの四半世紀』(1987・音楽之友社)』▽『堀内修・真鍋圭子著『ミュージック・ギャラリー19 ベルリン・フィルハーモニー』(1987・音楽之友社)』▽『クラウス・ラング著、斎藤純一郎他訳『チェリビダッケとフルトヴェングラー――戦後のベルリン・フィルをめぐる2人の葛藤』(1990・音楽之友社)』▽『コルドゥラ・グロート写真、ヘルゲ・グリューネヴァルト他著、浅野洋訳『写真集 ベルリン・フィルハーモニーとクラウディオ・アバド』(1996・アルファベータ)』▽『ラインハルト・フリードリヒ写真『写真集 ベルリン・フィルハーモニー』(2000・アルファベータ)』